記録2000.11.03

神蔵香芳のソロユニット カホウダブルスダンスタインスタ

カホウダブルスダンスタインスタ新作公演
千年文化芸術祭ノミネート作品




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神楽坂dei pratze 発行のフリーペーパーに掲載された神蔵香芳のインタビュー記事です。 カホウダブルスダンスタインスタや新作『She doesn't love me.』について神蔵香芳が語ります。

Question:最近、お名前とユニット名を変えられましたよね。

神蔵香芳:そうなんです。漢字表記だと変わらないんだけど、「ウ」がはいったんです。

Q:つまり、神蔵香芳=カンゾウカホウで、ユニット名のカホダブルスダンスタインスタがカホウダブルスダンスタインスタになったということですよね。

神蔵:改名というには、変化が小さすぎて誤植っぽいですよね。わたし、本名が香保でカホなんだけど、数年前「ダンスというのは目に見えない匂いが空間を流れるようなものだから、香芳にしたら」といってくれた方がいて、字を変えたんです。読み方はカホだと思いこんでいたら、最近になってカホウだったことがわかって。自分の名前を間違えていたなんて、恥ずかくてこっそりしてたんですが、チラシ等で、間違ってるよって心配してくれる人もいて。この機会に........、「ウ」がはいりました! よろしくお願いします。

Q:....なるほど。ところで、カホウダブルスダンスタインスタのチラシにはいつも、出演者の欄にコップとか小石とかブーツ等の「もの」の名前が並んでいますが、「もの」を共演者として捉えている?

神蔵:そうですね。単純にいうと、美術作品の素材の表示や、料理のレシピに載ってる材料に近い感じです。キャンバスにアクリル、とか、小麦粉50g、砂糖30g、バター30g、とか。要するに、コップや小石やブーツやカホウが協力し合ってこの空間が出来ました、ということです。だから、その「もの」たちは小道具や舞台装置としてあるんじゃなく、捉え方としてはやっぱり共演者です。

Q:「もの」がそこまでウエイトを占めるようになったのは何故なのでしょう。

神蔵:「もの」というか、正確に言うと他者ということになるんだけど、他のアーティストとコラボレーションをいろいろやっていた時期があって、互いに対等に自立した関係でひとつのものを作りたいと思っているんだけど、人間が相手だとやっぱり相手のことがわかるから、気を使ったり、寄りかかったりしてしまう。もっとどこまでもクールでベタつかない関係で他者と関わりたいと思ったとき「もの」と一緒に空間を創るという発想が出て来たんです。小道具としてでなく共演者として見てみると、「もの」の存在って得体が知れなくて魅力的なんです。都合よくは動いてくれないし、こちらの予測はどんどん裏切るし、ころがってるただのバケツのくせにすごい存在感だったり。解釈や意味や用途から解き放たれた時の「もの」の強さですね。そのくせ、ちょっと角度を変えてあげると、すごく叙情的な感性にリンクする要素があったりして。

Q:いい共演者と出会えたんですね。

神蔵:うーん、そうですねえ、時々もの負けっていうか、疲れたりしてますけど。何もかも捨てて身ひとつで旅に出てしまいたくなるみたいにね。何もない空間に身体ひとつ置いてそこから無限に豊かな空間を紡いでいく、これって、身体表現の理想ですから。身体にはそれだけの力があると思いますし。身体表現をやっている以上、ベーシックな部分ではそういう身体の力を信じてはいるんだけど、でも同時に、身体の力なんてどんどん疑ってみるべきだとも思っているんです。疑わないと主観の中だけで空回りしてしまいそうで。だから、時には踊りの邪魔になりながらも「もの」を登場させて、自分の思いだけでは自由に出来ない他者の客観を設定しているんだと思います。

Q:ダンスの場合、振り付けと出演の両方をする人は多いですが、神蔵さんは振り付け、出演の他に映像やインスタレーションも作っていて、それをダブルネームで提示している。このことの意味は、いまの客観性のお話に関係して来ますか。

神蔵:カホウダブルスの創作では、ダンス担当の神蔵香芳と映像やインスタレーション担当の神蔵香芳の2人に分かれて、別々の方法で表現したものをひとつの作品にまとめていくという形をとっています。お互いが他者なんです。ものを作っている時は、踊りのことなんか考えてないから、二つの表現を付き合わせてみたら、すごく踊りにくい状況だったりして、けっこう2人でぶつかりながらやっています。相手が自分だけに遠慮がないですから。この自分の中の他者の視点をなくしてしまうと独りよがりなものになってしまう気がします。

Q:最後に11月にdie pratzeで上演する作品『She dosen't love me.』について聞かせてください。

神蔵:テレビで、マリリン・モンローの遺したノートが発見されて、そこには最初のページにただ一行He dosen't love me.とだけ書かれていた、というニュースを観て、新しいノートの最初のページにHe doesn't love me.と書くしかなかった寂しさに愕然としたんです。でもこれって多くの人が一度は心の中に刻んだことのある言葉だよな、と思うとさらに胸が痛くなって。それから、いろんな形の愛を否定型にしてみて一番辛いのはどのケースだろうと考えていたら、母親に愛されなかった子どもの姿が浮かんだんです。正直こんな重たいテーマには触れたくないんだけど、避けるわけにはいかないという覚悟みたいなものがあって。というのは、わたしが身体表現を教えている子供の中にも、母親との愛情関係をうまく結べずに問題行動を繰り返している子がいて、なんとか受け止めてあげたいのに、うまくいかないんです。母子間の愛情の捩れは時代の抱えている不幸だと思うけど、現実的に力になれないからこそ表現の場でそれに向き合うべきなんじゃないか、と。答えは見つからないけど、問うこと自体が答えかも知れないし。カホウ、糸電話、マグライト、ハイヒール等の出演者に映像を絡ませながら、ここらへんの思いを綴っていきたいと思っています。

Q:楽しみですね。今日はどうもありがとうございました


なお、この作品がノミネートされた千年文化芸術祭は、新しい時代に相応しい新しい舞台芸術を観客の投票によって選出するというものです。ぜひ皆様も観客として参加しませんか。

くわしくは
office@tokyo2000.co.jp
http://www.tokyo2000.co.jpまで。

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