2007年02月28日(水)

  こんなに風が強いなんて。クルマ飛びそう。あ、これはちょっと大げさでした。でも家に帰ってきたら外猫の茶碗は飛んでました。
  強い風でホコリも花粉も舞い上がり、体も冷え冷え。もちろん今日もティッシュを箱ごと携帯して出勤。周囲の花粉症持ちの人はみんな「今年はすごい」と言っていて、わたしも久々に症状が出ているので、たしかに今年はすごいのでしょう。例年より早く始まったから、きっと終わるのも早いですよね、という人もいるけど、いや、終わるのは絶対に例年通りだと思ってしまうわたしって。ネガティブ。だって早く終わりそうな気がぜんぜんしないんだもん。
  最近キュウとギーはもしかして仲が良いのではと思うことしばしば。ギーの噛み癖は相変わらずで、その点に関してはキュウチャンもうんざりしているようですが、寝る時は必ず一緒だし、わたしが家に帰るとどこからか2匹が集まってきていつの間にか机の上に1匹、背後の棚に1匹、みたいな感じになるので。そしてギーはキュウチャンがポリポリを食べると必ず同じお皿から食べたがる。お皿はふたつ用意してあるんですよ。ま、キュウが嫌がってもうひとつのお皿に移るんだけどね。つまりギーはキュウが大好きで、キュウは迷惑だけど積極的に嫌がるほどではない、ということかな。複数飼の人の話によると、ほんとうに相性が合わない場合は、出会えばハァ〜!と威嚇し、半径1メートル以内には近づかないとか、けっこう激しい感じみたいなので、この2匹はそんなに悪くないのかもしれません。2匹が並んでごはんを食べたり、背中をくっつけあって眠ったりしているところ、可愛いですよ。あまりにも可愛いいので、くつろぐ2匹を押さえ込んでかわるがわるチュ〜(しつこく)、で、ものすごく嫌がられたりしてます。 


 2007年02月27日(火)

  疲れた〜。と、毎週火曜日は必ずこう言っているオレ。いつものことだけど帰りのクルマの中で途中からもう記憶がなくて、この人危険です〜!
  ここまで疲れるというのは、もしかしてやはり無理をしているのでは。もちろん無理はしなくちゃいけないんだけど、必要外の無理は必要外だ(あらら?)。わたしの仕事の場合、子供に対する態度がきちんと誠実であればいいわけで、なにかちゃんとした先生らしい雰囲気にしようとかいうのは必要外の無理ってことだ。そういうところ、あるのかなあ。かもね。先生らしくなんて所詮、実のない思い込みだったりするわけで、自分らしくいるのが一番いい。そのほうが説得力だってずっとあるはずだし、結果的にはここまで疲れないのでは。このへんで一度、自分がこれまでに溜め込んだマニュアルをくずしてみるのもいいかもね。イメージとしては、力が入り過ぎて動きが固くなっている状態を、力を抜いて楽に解放していくという感じ。具体的にどの辺の意識を変えればいいのかわからないけど、案外物理的に頭や肩に入った力を抜くことだったりして、、?


 2007年02月26日(月)

  ついに、手元にある自分のビデオの一番古いやつに整理の手をつけました。かれこれ20年前、横浜の大倉山記念館のギャラリーと中庭を使ってやったやつです。初めてのソロのテープはかびちゃったので、これが最古のテープってことになる。当時はまだ腰も悪くなかったし、圧倒的に若くて体も柔らかいし、嫌だな、昔はよかったなんて思うだけだったら。
  たしかギャラリーでは友人が絵画のグループ展をやっていて、中庭から始まる踊りをお客さん達は適当に歩いたり座ったりしながらしばらく観ては立ち去っていくというスタンスで、ダンスは即興で2時間くらい延々と踊り続けていた記憶が。
  冒頭、ああさすがに間が悪いし下手だな、と思って、妙にほっとしたりも。だって今の方がちょっとは上手くなってないと、いいとこないじゃん。が、しばらくすると、下手な中から「これなに?」という不思議なムードが盛り上がってきて目を見張る。下手なはずなのに、なにかがすごく上手く廻ってきて、異様な集中力のなかから軽い空気感みたいなものが漂ってくる。がーん。と、がっかりすることではないんだけど(自分のことだからね)、予測していたよりいい感じの存在感に微妙な気分。今の方が圧倒的に素晴らしい、さすが長年やってきただけのことはある、と思って安心したかったのに〜。もちろん作品にはなってないし、即興とはいえもう少し構成がきちんとしている必要はある。だけど、そこで踊っている存在感が、透明で美しい。世界は善いことと美しいことだけで出来ていると信じている人の踊りとでもいうか。実際、当時は、すべてにたいして心の底から肯定的だったので、この見え方はたぶん正しい。自分は世界で一番幸せ。そして誰もが世界で一番幸せなんだ。そんな思いが日常の中心に在った。この頃の踊りを好きだった人が、10年くらい後のヒステリックな作品群のあたりで離れていったのもうなずける。
  20年の間になんだかいろいろ辛いことなんかもあり、ここ最近はかなり辛いことのオンパレードでオツカレ気味のオレですが、やっぱりこれからなんだと思う。辛いことはあってあたりまえだし、それをどう昇華していくか。人生も踊りも。(辛い辛いっていったい何が、というところですが、それはさておき)今のところ、まだまだ何かする気にはなれないけど、ここはひとつじっくりこころの体力を回復しながら、この先に目線を移していくようにしよう。そういえば、このビデオの頃、あるプロデューサーから「あなたにとってダンスとは何か、なぜ踊るのか」と問われ、「自分にとって踊ることは生きることと同じだ」と答えたけれど、あの頃と変わらず今でも、わたしにとって踊ることは生きることだ。


 2007年02月25日(日)

  いや〜ん、今日は飲み過ぎちゃいました。家で独りで飲み過ぎって、後味悪いなあ。特に今日は、昼間「わたしってもうあんまり時間がないなあ」などとアセッテみたりしていたので、よけいに飲み過ぎてぐうぐう寝ていたこの2時間はなんだったの〜って感じです。ああ。いかん。
  死ぬほどあると思っていたテレビを録画したダンスのビデオも整理してみると本当に取っておきたいのはセメニャカと森下洋子さんのものくらいだった。つまりぼろぼろになるくらい観ていたもの以外は無ければないでかまわない程度のものだったってわけ。あ、もちろん、わたしにとってですけど。
  自分の作品のビデオはまだ山積み。いやだなあ。見たくないんだよね。作業が物理的にめんどくさいのもあるけど、否応なく突きつけられるのがいやなんだよね。当時の自分のいいかげんさ。そしてそれは生来のもので、今も改善されているわけではなく。同時に年月の経過も認識せざるを得ないし。ほんとにこの20年、ただのほほんと春夏秋冬を繰り返し、時を費やしてきた。p0ーーーーーーー←ギー書。気付くのが遅すぎたねえ。昔話なら、「浦島太郎はおひげの真っ白なおじいさんいなりました」で済むけど、平等に訪れる時の経過を恩恵と感じるちからが誰にでもあるわけではない。もう誰ひとり知り合いもいないというのに、いきなりおひげの真っ白なおじいさんになって、さらに動揺して混乱するのが関の山ってことも。
  でも、気付かないよりはよかった。そう思って今後を善処するしかない、そうでしょ、ギー(ムートンで熱心にチュ−パ中)。


 2007年02月24日(土)

  もくもくとビデオの整理。松山バレエ団の「ジゼル」。うわあ。忘れてたけど、これメチャメチャ好きでした。ダビングしていると、どう見ても2幕より1幕の方が痛んでいて、つまり当時のわたしは1幕がものすごく気に入っていてそこばかり擦り切れるほど観ていたということなのでした。当時のわたしといっても、計算してみるとそれは驚いたことに30年前であり、つまりわたしは中学2年生つうことに。うひゃあ。このビデオを食い入るように観ていた中学2年生って、けっこういいかも。
  ところで、森下洋子さんってやはりすごい。生きている時のジゼルはこれほど可憐で素直で可愛い人間がいるとは、と感動。そしてジゼルがこと切れたところでは涙が、、。バレエのビデオで人を泣かせるなんて。2幕のジゼルも人間の真の愛みたいなことが感じられてすばらしい。死んでなお成長って感じだ。当時の自分の興味は森下洋子さんの踊りに集中していたが、あらためて観てみると、清水哲太郎さんの表現も劣らず素晴らしいもので、というか、そもそも作品としての演出がすぐれているのだとわかった。音楽を聴き踊りを観ているだけで登場人物の心象が手に取るように伝わってくる。ヒラリオンの心理でさえ微妙な心の襞が伝わってくる。のよ。ジゼルのお母さんとかも、ね。セリフが聞こえてきそうなくらい。
  そして、松山バレエ団の作品のすごいところは、「くるみ割り人形」を観た時にも思ったけど、テーマとして人間の心の成長をしっかりと中心に据えているところ。この「ジゼル」もジゼルの死を通してアルブレヒトが人間として成長したことがラストのシーンでしっかりと描かれている。中学生の頃はそこまで感じて観ていたわけじゃないけど、やっぱりテープがぼろぼろになるほど繰り返して観たというのは、その辺だったのだろう。
  世界に名を知られるレベルのダンサーというのは技術的にはもうみんな甲乙つけがたいものだと思うけど、テープが擦り切れるかどうかは、その人の踊りが何を表現しているかというところだろう。テレビで放映されるダンス作品をもれなく観ていたのは中学高校の短い期間だけど、その間に集めたビデオをこうしてざっと観ただけでもそこらへんの違いは明白って気がする。撮ったけどほとんど観てない作品はやっぱりただのダンスなんだ。ダンサーが綺麗で上手くて振りがおもしろくても繰り返し観る気にはならない。踊るひとの内側の、魂から溢れ出る何かがないと、テープは擦り切れない。


 2007年02月23日(金)

  寒いです〜。これが当たり前なのかもしれないけど、今さらこんなに寒くされても、、、。
  花粉症&風邪はだいぶよくなり、脳の調子はまあこんなもんかな、というところ。考えてみれば、今の自分の年令は自分が高校1年生の時の母と同じなわけで、当時の母を思えば多少脳の調子が悪くて当然って気もする。いつの間にそんな年令になっていたのさ自分。タイムトラベルをして当時の母と会ったら、自分達が同い年とはとても思えないに違いない。〜じゃん、とか言わないし。若いとも言えるし貫禄がないとも言える。常にまじめで道徳的であった母と比べるとほんとうに自由に好きなようにやっているオレであることよ。独身で子供がいないというのが大きいのかなあ。でも、結婚して子供がいても基本的には同じって気がする。っていうか!にゃんと計算を間違えていたでござる!今の年令から母との年の差を引くと、おっとびっくり、21才ではないですか!つまり今のわたしの年令はわたしが21才だった頃の母と同じってわけ。うひゃあ。信じられない〜。わたしが大学の頃の母って、もう立派な初老に近い中年女性だったじゃん。がーんがーん。いつの間にこんなに年月がたっていたの〜!あまりにもびっくりしたので今日はこれにて〜。


 2007年02月22日(木)

  猫の日。にゃんにゃんにゃん(2/22)。うちの猫達は、一時期とりこになっていたホタテ味のごはんにどうやら最近飽きたらしい。大量にまとめ買いしたのに、、、がーんがーんがーん。でも、このところキュウチャンが肥満気味だったので、かえって良かったのかも。猫はいったん太ると大変なのです。なぜなら犬のように散歩の時間を延ばして運動量を調節することもできないので食事のカロリーを減らすしかないのですが、食べたがるのに食べさせないのは可哀相で、だからこのように自然にごはんの食い付きが悪くなった時に適度な体重に戻ってくれるのが一番。
  以前のようにどか食いをしないぶん、みるみる痩せてたぶん標準体重に戻ったキュウチャン、スリムです(まあまあ)。だれですか〜ウラヤマシイなんて言ってるオクサマは。そうなのです、食べながら痩せる、とか、これを食べれば痩せる、とか、そういうのはだいたい根本から間違っていて、食べ過ぎなきゃ自然に痩せるんだよ。と、わかっていてもつい食べ過ぎるのよね、わかるわあ。77777 ←ギークン書。今日は7なんだって。人間ってほとんど脳で食べてるんでしょうね。ストレスがあると食べ過ぎる。ちゃんとお腹で食べられるといいんだけどね。もし世界中のオクサマたちがぜんぜん食べ過ぎなくなったら、それは実にエコロジカルなことなのでは、、、。
  食べるといえば、先日、訪ねて来た友人に簡単な食事を出した時のこと。待たせるのは嫌なので即席ものをうまく使ってスープとパスタとつけ合わせを2品作ったんだけど、おいしい、と感想を言った後で「自分は食べ物に対するこだわりがぜんぜんない」という話題になり、わたしも特にこだわりがないから「わかるわかる」と相づちを打っていたものの、後から思い出すと気分は少々微妙でござる。本人は別に意識して言ってるわけじゃないみたいだったけど、ひとの作ったごはんを食べながら食事にこだわりはぜ〜んぜんない、と言うのは避けた方がいいのでは〜。そういえば、以前、ヌイグルミの個展に来てくれた知人が「すごく可愛い〜!でも、ヌイグルミってどんなところに飾ればいいのでしょう?」と聞くので、べつにどこにでもちょこんと置いておけばいいんじゃない?と答えたら「そうなんですか、わたしヌイグルミって好きじゃないからよくわからなくって」と言われたことがあって、その時はほとんど苦笑でした。ただ、生来自分はヌイグルミを好む方ではないという、まったく正当な発言なのですが、やっぱこのタイミングだとまずいよね。
  脳は正直に思ったことを言葉にしちゃう。ストレスにさらされた脳が必要以上に食べたがるのもつまりは正直な反応なわけで、脳によって暴かれる前に本音をしっかりと中心に据えて自分と付き合っていった方がいいということなんだろうなあ。


 2007年02月21日(水)

  これ、やっぱり花粉と風邪のミックスみたい。起きていられないほどではないので、柔らかティッシュを箱ごと持参で仕事に。チビッコに「それなあに?」と聞かれ「ティッシュ」と答えてみるが、そういうことではなかったのかしら。チビッコって、そういう意味で質問して来たりすることもあるんだけど。
  家に帰ってごはんを食べて何となくテレビを見ていたところまで覚えてるけど、いつの間にかふとんに入って寝ていたので、自覚がないけどホントはゆっくり休みたいと思っていたのでしょうね。せめて歯だけでも磨かなくては〜、とふとんから這い出し、しまったお皿も洗ってない、猫のトイレも、、、じゃあ日記もやっておく?となって今に至る。それにしても、もうすぐ3月。人間、自分の生まれ月いちばん調子が悪くなると聞いたことがあるけどホントかなあ。そしてそうだとしたら、それはなぜ?
  ああ、やっぱりどんどんくしゃみハナミズ。もうお風呂に入って寝た方がいいみたい。


 2007年02月20日(火)

  風邪と花粉症、どっちがいい?うーん、どっちかっていうと風邪かなあ。鼻がずるずるで目がしぱしぱでくちびるがぱりぱり。喉も痛い。これ、どっちかっていうと花粉症でしょー。ほんとにギークン、ドアを閉めないんだったらやたらと出たり入ったりしするんじゃありません。と、猫に腹をたてるくらいなので、これはけっこう具合が悪いようです。今日は寒かったので花粉の量は少ないはずだけど、アレルギーが発症している場合は気温が低くてからだが冷えたらダメなんだよね。
  最近では体調がいいと症状が出ない年もあるのですが、20代前半で発症して以来ひどい症状に悩まされて来たので、自分の体質にあった対処の仕方はある程度把握している。つもり。花粉の時期に体を冷やすこととホコリを吸うことはてきめんで、このところこの悪い条件が重なっていたので、ほら、古いビデオってけっこうホコリっぽいでしょ、今日の寒さで一気に爆発〜ってとこでしょう。
  自分の体質といえば、最近気付いた特徴がひとつあって、それは、具合が悪くなる前に匂いにものすごく神経質になるということ。普段から匂いにはけっこう敏感なんだけど、神経質ではない方だと思う。でも、たまたまバスで隣に座った人の体臭がどうしても気になって、しまいには吐き気がしてきて、バスを降りてからもずっと匂いがまとわりついて食欲もなくなっちゃうみたいなことがあって、どうしたんだろうと思っていると、その後具合が悪くなる。そういうことが何回か続いて、体調が悪くなる前には匂いに神経質になるという公式が成立。
  てなことを書いていて思い出したんだけど、思春期の頃の嗅覚ってこんな感じだったなあ。一般的にはそれほど問題ないだろうというような匂いが、ふとした拍子に吐きそうになるくらいダメになるの。中学の時の男の先生で、若くてまあまあハンサムで、でも背がかなり低くてちょっと陰気な感じだったので女の子達からはぜんぜん人気がなく、だけどわたしはそんなに嫌いじゃないなと思っていたんだけど、ある日、先生の整髪料の匂いが気になりだして、その匂いがすると吐きそうなほどになってしまったので、たしか生物の先生だったかなあ、けっこう興味のある分野だったので質問したいことなんかがあっても、匂いを思い浮かべただけで質問なんかどうでもよくなっちゃった。もしちゃんと質問していれば今頃は、、なんちゃって〜。思春期を遠く過ぎて、同じ種類の神経質が再び廻ってくるとは。体の変わり目の敏感な時期という意味では似たようなものなのかもね。


 2007年02月19日(月)

  先日ダビングしたセメニャカのビデオ、画像がものすごく乱れていたので(DVDに落とすときって結構こういうこと多いんだけど、普通ですか?)、撮りなおすことにしたところ、また釘付けに。少し観るともっと観たくなり、結局全部観るまで動けなくなる。他のダンスビデオはそうでもないので、やっぱりこれは特別か。多感な高校生の頃に観たものだからでしょうか。そう考えると、カビてしまったカロリン・カールソン、今観たらどう感じたんだろう。ちょっと残念。
自分の過去のビデオには、ちょっと観ると目が離せなくなるようなものはなく、どっちかというと目をそらしたくなったりするので(がーん)、ずいぶんずさんな作品作りをしてきたものだ。それは、呆れるほど大胆なほどでさえあり、まあはっきりいって呆れるばかりなんだけどさ。学生の頃から試験もレポートも一夜漬けで何とか乗り切るタイプで、それなりに乗り切って来れちゃったけど、作品づくりもかなりそれに近いものがあるね。作品なんか一夜漬けで乗り切ったって何にもならないのにさ。一夜漬けの時のものすごいエネルギーと集中力は我ながら評価してやってもいいと思うけど、切羽詰まらないと力が出せないぼんやり体質をそろそろやめることにします。これ決意です。まじです。実現したら自分がいちばん驚くと思う。それほどこれまでの人生、何につけても直前までぐずぐずしているのが常だったのさ。


 2007年02月18日(日)

 ベジタリアンって体にいいんですかねえ。もともと肉や魚を積極的に好きな方ではなく、最近ひとりで晩ごはんを食べることが多いので、みるみる野菜に片寄って結果的にベジタリアンごはんだ。コーヒーに牛乳はいれるしマヨネーズも使うから、厳密なベジタリアンではないんだけど。呆れるほど食に対する興味がなく、冷蔵庫も味噌と調味料だけってかんじで、独身サラリーマンのよう。あ、でも事実、独身サラリーマンみたいなものですけどね。
  かつては結構料理好きで、何でも自分で作ってみたくて、チキンを塩釜で焼いたり、手打ちパスタを打ったり、チョコレートケーキやシュークリームなんかも作ったりしていたのにね。最近ではもっとも丁寧に気を使っている調理は、キュウチャンのホタテの解凍。よくこの日記にも書いてますが、キュウチャンは晩ごはんにホタテの刺身を食べるのを楽しみにしていて、それはもしかして彼の唯一の楽しみではないかとさえ思うほどなので、大切な楽しみをよりよい状態でと注意深くなるわけです。
  冷凍のホタテの、まず片面を10〜13秒チン、裏返してもう一度チン。気温とホタテの大きさによって秒数が微妙に違ってくるので、ちょっとでもチンしすぎると中に熱が通り過ぎちゃって、大切な楽しみが悲しげにお皿に残されていたりする。がーん。というわけで、この解凍作業が日々のもっとも注意深い調理なわけで、レベル低いですねえ。
  今日も、お昼食べた?と聞かれ、うん、カロリーメイト、と答えているオレ。あ、カロリーメイトはベジタリアン食じゃないですね。要するにベジタリアンなどというきちんとしたものではなく、ただの面倒くさがりの偏食にすぎないので、たぶんこれ、このへんで心を入れ替えた方がいいんでしょうね。


 2007年02月17日(土)

  少しだけ膝の痛みがいい感じになってきただ。いい感じの痛み、とは?えっと、傷か治りそうな時に痛いんだけどむずかゆくなるような、そういう痛みのことです。
  膝を圧迫する要素のある衣類は着ることができなかったが、昨日久しぶりにぴったりしたスパッツを履いてみたらそれほど嫌な感じじゃなかったので、今日はタイツに挑戦。うーん、挑戦する事柄のハードルが低すぎだ。あと一ヵ月くらいすればもっと普通のことに挑戦できる自分に復帰するかも。
  今日、事故以来初めてバイクのカバーをはずしてしみじみと眺めてみるが、右側のミラーとライトにかなりの傷がついていて、ふたつの傷の角度からどのように地面に転んだのかが明確に検証できると思った。そして、それはわたしの膝のお皿の傷の角度とも符合するんだなあ。金属の部品がこの位ダメージを受けているんだから膝のお皿が2ヵ月位で回復すると思う方がずうずうしいというものだ。人体の驚異にそこまで期待しちゃ〜いけないよ。
  ところで、なぜバイクのカバーを外してみたかというと、乗るつもりとかではなくて、たまにはエンジンをかけないといけないんだよと人に言われたからです。そういえば、ずっと乗ってないとオイルがどうのこうのとかも、バイクのメンテナンスの本に書いてあったし。へこたれている間にバイクまでダメにしちゃってはいけません。すっかり忘れかけているけど、このバイク、かなり縁があって見つかったものなのだし。エンジンをかけてみたら、なんとかかかったのでホッ。ところで、そろそろ自分のエンジンもかけるようにしなくっちゃ。


 2007年02月16日(金)

  脳の調子、多少いいけど多少悪いです〜。今日も仕事でピアノのミスタッチが多く、リズムが狂うことも数回。あ、わたしのダンスの作品を観てくれている人は「カンゾウさんにリズム感などあったっけ」と思っているかもしれないけど、仕事ではリトミックを取り入れた身体表現をやっているので、リズム感はわりとちゃんとしているのよ〜、それが狂うのはかなりNGな感じで、ピアノもね、下手は下手なり、で、ミスタッチなんかしてたら仕事にならないのさ。今まではこういうこと無かったんけどなあ。
  切れた血管は繋がらないんだっけ?じゃあ、もうこれ以上切らないようにしなくては。でも、まだ切れてないやつもいっぱいあるから大丈夫、ってそういうことじゃないでしょ〜。とりあえず今日はつっこみをいれる元気が出たということで、これにて〜。


 2007年02月15日(木)

  昼間は春で夜は真冬。上半身は人間で下半身は馬。あ、違う〜、ぜんぜん違う〜、何の関係もない〜。
  この気候なんなんでしょ。体調どころか脳までおかしくなりそう。な、せいかどうか知らないけど、昨日「明らかに脳が調子悪い」という実感があって、まいった。まいったどころではなく恐怖でござる。朝、耳がよく聞こえないと気付いたら、なんかいつもにまして舌がまわらないの。そして、仕事でピアノを弾きながらチビッコに指示をだしたり言葉をかけたりしていくんだけど、何を言おうとしているのかわからなかったりピアノのリズムとのタイミングがあわなくなりそうだったり。「ホントは恐い家庭の医学」でしたっけ、「これが恐ろしい病の始まりだったのです」、おおマイゴッド。なんちゃって。たぶん枕のあたり方がすごく変だったのが原因だと思うんだけど起きたら首が異様に凝っていて、それで脳の血流が悪くなっていたのでは。でも気をつけよう。だって何か変だな、という時は、たいてい何か変なので。とりあえず脳の調子が悪いので、話に何の落ちもなく、今日はこれにて〜。


 2007年02月14日(水)

  バレンタインデーって気にしてます?適度な年令の頃までは、恋人はもちろん、父とか弟とか、そして、仕事場に行く日と重なっているならギリでもあげた方がいいのかな、なんて考えたりもしましたが、もういいんじゃないのいいかげんって感じで。こんなバレンタイン不参加派、だめですかねえ。
  最後にチョコをあげたたのは2年くらい前かな。その頃とっくに不参加派になっていたのですが、たまたまボーイフレンドと会ったら、その日はバレンタイン直前で、待ち合わせしたデパートのエントランスホールには高級チョコの特設売り場が花々しく出現していて、こんな状況で知らんぷりするのも大人げないと思い、その場でチョコを買ってプレゼントしたんだけど、彼はホワイトデーは知らんぷりで、つまり彼も「どうでもいいじゃんそんなこと」派だったってことですね。もしその時にお返しをされていたら、こういうコミュニケーションも意外と楽しいなと思ったのかなあ。もしかしたらかえって面倒だと感じたかもしれないし、よくわかりませんが、、。どっちにしろ、慣わしに従わないとまずいという気分だったらあげない方がいいな、と思っちゃいますね。
  今まであまりバレンタインデーと職場に出る日が重なることがなかったので職場の実態を知らなかったけど、今年は珍しくバレンタイン出勤で、女の人はちゃんと気を使ってチョコを用意していることが判明。小さな職場なのでみんなで相談してプレゼントしているみたい。えらいなあ。そういう気づかいができるようになるといいのでしょうねえ。とはいえ、今のところ気づかいよりも「どうでもいいじゃん」の方が強いので、まあしかたないデス。色気ゼロなこの雰囲気、もうしわけございません。といいつつ、職場でひとりのチビッコ(女子)が「カホセンセイまっててね、いそいでもってくるから!!」と目を輝かせながら教室に走っていき、ちいさなチョコの包みをプレゼントしてくれたのは嬉しかったですよ。彼女の表情に人にプレゼントをする喜びが溢れていて、きっと今日は彼女にとって特別に楽しい1日なのでしょう。おかげでこっちも幸せな気分に。いくら「どうでもいいじゃん」派であっても、彼女へのお返しは忘れてはいけないことであるよ。純粋にバレンタインを楽しんでいるのって、こういうチビッコなのではないかしら。どうもそんな気がしてなりません。


 2007年02月13日(火)

  じゃーん!カロリン・カールソンがだめでもわたしにはリュドミラ・セメニャカがあったのだ〜。あのね、身の回りの整理をするならこの際、長いこと実家に置っぱの荷物も整理するだ、と昨日実家の棚の中を片付けたでござる。
  そこには、にゃんと。これまたなが〜い間探していた、高校生の頃にせっせと録画したクラシックバレエのビデオがどーんとまとめて収納されていたのでござりまする。う、うれしい。一番好きだったのが先日カビカビで発見されたカロリン・カールソンだったので、これだけを実家から持ち出していたみたい。他のはちゃんとまとめてしまってあったなんて、いいぞ自分。
  セメニャカというのはボリショイバレエのスターで、今から25年くらい前、日本でもすごく人気があった人なのですよ。おそらくわたしより少し上の年代だと思うんだけど、今はどうしているのかな。中学高校の頃、熱烈なクラシックファンで、お小遣いをためては、今でもそうだけど当時もびっくりするくらい高価だったチケットを買って、東京のはずれから上野の文化会館などに出かけていったものですが、大学生になって下宿を始めたら生活費があまりにギリギリで、貧しさに負けて〜、自然にバレエファンを引退しちゃいまして、、、。
  セメニャカの舞台をそうたくさん観たことがあるわけではなく、テレビで放送された『白鳥の湖』をビデオに録画して擦り切れるくらい観ていたのですが、きのう観てみたら画像がボロボロでテープがほんとに擦り切れているみたいでした。
  セメニャカは技術的にもすごいのですが、表現力がさらにすごくて、特にオディールが王子を誘惑する(で、いいのかな?)場面なんかは、王子がみるみる心を奪われてオディールのとりこになっていく様子が手に取るようにわかるほどで、そりゃあこんなふうに踊られたんじゃ仕方ないよねと思うほど色っぽさてんこもり。奥手な高校生だったわたしもセメニャカのオディールのとりこで、なんと、今でも振りを全部覚えていた。踊れます。すごく下手にならね。この人、デコルテから上の使い方が絶妙に美しい。頭の位置や首の動きなどから生まれる体の表情からセリフが聞こえてくるよう。何十年ぶりかで、変わらずうっとり見入りました。
  このビデオは70年代後半の公演のもので、他にも80年代前半のセメニャカの白鳥がダイジェストで入っているビデオが見つかったが、こちらは擦り切れるほどは観てないみたいで画像もきれい。しかし踊りは断然70年代の方がよかった。だからそっちばかり観てたんだよね。なんというか、あの異様な色っぽさが感じられないの。技術的にはさらに磨きがかかっていて、32回まわるやつなんか完璧だし、ソリストとしての自信に溢れていてとても安定しているんだけど。もしかしたらふたつのビデオの間の数年間に女性として図太く?なったとか?
  よくわからないけど、80年代の方だと普通に素晴らしいダンサー。70年代のは異常なほどにみずみずしく、ひとつの動きにものすごくたくさんの感情の襞をたくわえている。何がどう違うんだろう。ちがいの源は、おそらく本人にしかわからない、あるいは本人にもわからない根源的なものなのではないかしら。


 2007年02月11日(日)

  昨日から、この家に越して来た時に大きな衣装箱に詰めて運んだまま一度も開けてない古いビデオの整理に突入。なぜならその衣装箱の上にはさらに衣装箱が重ねてあったので、なかなか開けてみる機会がなかったのです。収納の悪い見本だね。
  開けてみると、そこにはにゃんと、ずっと探していた高校生の時に録画したカロリン・カールソンのビデオが!やった〜〜!しかし、よろこびもつかの間。テープが真っ白にかびていて、がーんがーんがーん。たぶんクリーニングする方法とかあるんだろうけど、もういいかな。と思いつつ、まだゴミとして仕分けできずに机の隅にそっと置いてあるのは、この作品をテレビで観たのが生まれて初めての先鋭的なコンテンポラリーダンスとの出会いだったからです。
  あと、初めて劇場を借りて自分の公演した時のテープもダメでした。おお。うちって湿気が多いんだよね。もう少し早く気付いて湿気の少ないところに移しておけばよかった。とはいえ、20代後半のビデオも多少は残っており、若い。若いっていいわ〜、と胸が痛くなるほど、顔も体も、足の裏さえ新しい、、、。
  先日、DVDに落として「じつにまずい作品である」と感じ入った『FOUR SKCK GIRLS』の残りの作品もダビングする。もちろんそれらを見るのは初めて。すると、なんと音声信号がまったく入っていないものが一本あり、それは自分が初めてピアソラのリベルタンゴで踊って、その踊りを観たカワサキさんが「いままでタンゴでこんな踊りを踊った人はいない!」と興奮していたもの。音がないとねえ。そういえば、スタジオ錦糸町の担当の人が「ごめんなさい!実はビデオの音声を繋ぎ忘れちゃって」と謝ってきて「ええっ!」と驚いたものの、もう終わっちゃったからいいかと思っていた、そんなことも思い出した。
  そして、このシリーズの最終回はスタッフもみんなテンパっていたのか、据え置きで撮っていたビデオがバラシの最中も録画されたままで、ふだんなら見ることのないバラシの風景が記録されていた。ああ、この時この人が手伝ってくれてたんだ、とか、クリハラさん若い〜、とか、そして、カワサキさんがわたしやスタッフと話したりしている姿も録画されていた。このシリーズからカワサキさんと本格的に仕事を始めたんだけど、このころはカワサキさんはまだ透析もしてなくて、ものすごい勢いで仕事をしていて、驚くほど若くて元気そう。音に対しても他のことに対してもすごくわがままで、そのわがままの中に音と表現に対する大きなリスペクトが感じられて、だから、こっちも最初から信頼してすべてゆだねてわがままに踊れたんだと思う。10年間。最後の頃のカワサキさんはこのころからは想像もできないほど謙虚で、それは、音と表現に対するさらなるリスペクとからきたものだったのだと思う。カワサキさんにとって「音」は神に近づく道筋だったんだろうな。
  ところで10年経って自分はどう変化したのでしょう。老けた〜。確かに。がーんがーん。ともあれ、10年後、道のずっとずっと先の方に進んでいたいものだ。


 2007年02月10日(土)

  そういえば、このごろ誰からも電話もメールも来ないなあと思っていたところ、昨日会った友だちに「携帯にメールしてもエラーで戻ってくるし電話も通じなかったよ」といわれ、どうやら月曜くらいから携帯が機能していなかったみたいです。充電もしてるし電源も入れてたんだけどね。古いので静かに壊れはじめているのかも。その後ちゃんと通じるようになり、そうしたら、たまっていたメールを次々に受信。ライフライン復活って感じでいいですね、にぎにぎしくて。
  余談ですけど、わたしの携帯の着信音は自分で作った短い曲。曲と呼ぶのも恥ずかしいほどの単純で幼稚なオンガクなのですが、聞き慣れているせいか世界で一番かわいい着信音だと思っていて、人知れず思っているだけなら許されるでしょ?、メールが来る度にこの音が聞こえてくるのがビタミン剤になっていたみたい。久しぶりに着信音を耳にしたら、無邪気な明るい風が吹いてきたみたいに、たわいもなく心が弾んで。世界一の名曲。ただし、わたしという超狭い範囲と、着信音というジャンル限定でね。


 2007年02月09日(金)

  友だちと飲んで、電車で帰ろうとして驚いた。こ、こんなに混むんですか〜。金曜、恐るべし。まだ治ってない方の膝に人がぶつかったらまずいので(だってジーパンが当たっても痛いからジーパンが履けないくらいなんだよ〜)険しい気分になる。せっかくいい気分だったのにねえ。車内アナウンスによると大手町で線路内に人が侵入したため電車が遅れたとのこと、だからよけい混んでいるのかなあ。ああ、どっちにしろちょっと飲み過ぎです。
  家の近所まで来たところで、あきらかにわたしを見て物陰から走り出て来た猫がいて、そいつはわたしを確認すると「ニャア」と鳴き、シッポをピンと立ててわたしの家の方向に走っていく。ってことは、こいつ家の黒猫?このあたりには同じ系統の黒猫が多数生息しているのでまさかと思っていたが、やっぱりきみはクロチャンではあ〜りませんか。まだ家まで数百メートルはあるのに、こんな遠くで会ってもわたしを見分けるとは。そして、夜中の12時をとうに過ぎてもわたしのごはんを待っているとは。嬉しいような悲しいような。これからもずっと面倒見られればよかったんだけどね。
  そうだ、そして、今日!スクリーンが届きました。何の前ぶれもなく!それも巨大な!どうしよう、こんなでかいスクリーン置く場所ないよ。というよりなぜスクリーンだけ?プロジェクターは?と不思議に思っていたら、数時間後、宅急便さんが「これ、セットでした〜」とプロジェクターを持って再び登場。おお。ちょっと案外かなりうれしいです。あ、これ、『ぼくはくま』の賞品です。とりあえず説明書を見てみたら、最近のプロジェクターってDVDプレイヤー内蔵なんですね。そして当然だがパソコンにも繋ぐことができるらしい。うーん、進化してますねえ。わたしが映像をダンスに使っていたころはビデオデッキとかを繋がなくてはならなかったですからね。光量がどれくらいなのかは説明書ではわからなかったけど、わたしの小さいプロジェクターよりは明るそう。ダンスに使えるくらいのものだといいなあ。
  賞をいただいたとはいえどうも実感がなかったのですが、こうしていきなりスクリーンやらプロジェクターが届いてみると、あ、勘違いじゃなかったんだ、みたいな安堵感と嬉しさがふつふつ。よく考えると賞品というものをもらうのは初めてかも。いいですね賞品って。つうか、まじで『ぼくはくま』という可愛い歌に出会って楽しく振付けができたことに感謝です。うちのチビッコたちにも感謝。きみたちを楽しませたいというのが、わたしの振付けの原動力なので。


 2007年02月08日(木) 

  曜日の感覚がおかしくなっていて、明日が何曜日だかまったくわからないくせに金曜日だと知ってやけに驚く。そうか、金曜なんだ。異常な暖冬のせいで季節感がおかしくなっているのも関係ありそうだけど、明日という日が白紙だ。イメージがない。日付けも曜日も。今は1月ですといわれれば、そのとおり、と思うし、3月ですといわれたら、そうですね、と納得する。こういう何気ないところが白紙になってしまうと、夜が明けて朝が来るということまでもが不確かな感じになってくる。このままずっと思う存分夜、とか。お、それもいいじゃん、とかね。まあ本気でそう思えればそれもいいのかもしれないけど、朝が来ないのは困るし、やっぱり月火水木金土日であるべきで、いきなり3月になったりしてはまずい。うーん、なんとかちゃんと時間に乗りなおさねば。


 2007年02月07日(水)

  今日は絶対何かの日なんだけど、それはいったい何だっけ、と1日中気掛かりだったが、夜になってやっと思い出した。ハチクンの命日。よかった、思い出せて。亡くなったのは朝方だったからだいぶ遅くなっちゃったけど。以前はよく誰もいない部屋から猫が遊ぶ音が聞こえてきたり、夜中ふと目覚めると部屋の隅にシマ猫が座っていたりしたけれど、最近ではそういうこともまったくなくなった。よくわからないけど、ハチクンは時間をかけて行くべきところに行ったのだと感じる。だから、少しづつ記憶の彼方に遠ざかっていくこの感じもなかなか穏やかな心持ちだ。ハチクンのことをこんなふうに静かに思い出すことができるようになるなんて。今抱えている辛いことや悲しく思うことなども、何年か後にはこんなふうに平らな気持で眺めることができるんですかねえ。ハチクンが行くべきところに行ったように、きちんと対処していけばきっとそうなるのだろう。


 2007年02月06日(火) 

  やっぱり火曜日はクラスが盛りだくさんなので1日が終わるころにはもうへとへとだ。いったい今日1日で何人くらいのチビッコに教えているんだベ?ええと。120人くらいかな。おお。けっこうたくさんの人に会っているではにゃいですか〜。新ためて考えてみるとこんな数の人々と一緒に活動できるというのは素晴らしく、だが、さすがにかなりのエネルギーが必要でもしかたがないなと思う。疲れたでござる〜。帰りのクルマの中はほとんど無意識状態。事故らないようにしなくてはと思っていたことだけ覚えているけど、あとは記憶がないです。いつの間にか家に帰りついていつの間にか晩ごはんを食べ終わっていて今に至る。こんなことでいいのか自分〜。といいつつも今日は妙に眠たく、むりやり起きていてもたいしたことも出来そうにないので、ゆっくりお風呂に入って寝るでござる。なんでござるなの?わけはわからないけどなんだかござる気分でござる。


 2007年02月05日(月)

  世田谷通りをバスに乗っていると、三茶の近くかなあ、動物病院の案内のアナウンスが流れるの、知ってます?たしか「小鳥からゾウまでペットのことなら○○病院」とかいうんだけど、ゾ、ゾウまでって、飼ってないよ〜。そして、バスの窓からその病院を眺め、今度は、もしゾウが来たらどこから入るの?と心配に。だってこのドアからは絶対入れないぞう、、、、あ、往診?
  動物といえば、ギークンは相変わらず猛獣で、寝ている時以外はキュウチャンに飛びかかったり物陰から飛び出したり段ボールをビリビリに噛みちぎったり無理矢理机に飛び乗って物を落としたり、そういうふうに自由自在にやっています。小さいころよりは寝ている時間が長くなったのでちょっと楽になったけど、基本的な行動は変わらないみたいね。
  顎が前に出ているギーの骨格はものを噛むのにすごく適しているようで、顔が平らなスコティッシュのキュウチャンに比べてごはんを食べるのもはるかに効率的。そしてもちろん相手に噛みつくのにも適している。ギーに噛みつかれたキュウチャンが反撃しようとしてもほとんど噛み返せていないので「なにかハンデがあるべきだ」と、キュウの爪は伸ばしてギーのは切るという作戦をたててみたものの、爪を切ろうとすると大暴れでわたしの手にもがぶがぶ噛みつくのでなかなか爪を切ることも出来ず。飼猫に手を噛まれる。オレ悲し。
  それでも外から戻ると、すごい勢いで玄関に走り出てばたっとお腹を見せて寝転がったり、眠くなる時間に「ギーおいで!」と呼ぶと膝の上に飛び乗ってきたり、そういうところはなんとも可愛くプラマイゼロ。仕方ないぜベイビー。キュウも時々は自分からギーを追いかけて走ることもあるので、ちょっとは楽しい時もあるのかな(ないかも、、)。
  ところで、そんな縦横無尽に暴れ廻るオトコらしいギークンですが、いまだに寝る前の「ちゅーぱ」は欠かせられないらしく、わたしのムートンはだんだんレゲエのひとの頭みたいになってきています。ええと、ムートンの毛足を細い束にしてちゅうちゅう吸うのでドレッドへア−みたいに固まっちゃうのよ。そう、今もまさにわたしの隣でゴロゴロいいながら思う存分ちゅーぱをしているギークン。赤ちゃんの時にひどい風邪をひいて親猫もほとんど育児放棄状態になってしまい、入院したまま親と離れてしまったので、ちゅーぱも噛み癖もある意味必然的なのかもしれない。親ってほんとに大事なのね。キュウチャンはかなり大きくなるまでしっかり親猫に育てられたので、躾もいいし、精神的にもすごく安定しているんだと思う。


 2007年02月04日(日)

  立春〜。風は冷たいけど光は明るい。春です!!ぜんぜん関係ないけど、美容のために(!!)がんばって飲んでいたアミノ酸系のサプリメント、「夜寝る前に飲んでください」って気がつかなかったぜ〜。朝起きた時に飲みつづけて1ヵ月。がーん。肌は寝ている時に作られる、これ美容の基本らしい。早く言ってよ。あんまり効果が感じられなかったのはそのせい?がーんがーん。
  さて。気を取りなおせ、自分。ええと、宇多田ヒカルさん作の『ぼくはくま』という子供向けの歌に振りをつけてチビッコと踊っていたところ、振付けコンテストがあったので応募してみたら、にゃんと賞をいただきました〜。歌がすごく可愛くて、子供向けなのにけっこうリズムが難しいところもあったりして、ぴったりの振りを作るのがなかなかむずかしく、その分おもしろくもあり、出来上がった振りはチビッコに大うけでみんなすぐに覚えて気にいって踊っていたので、やった〜〜。WEBで公開されているのでよかったら見てみて〜。チビッコと一緒にわたしもほのぼの踊ってます。「ぼくはくま」で検索すると特別サイトがすぐにみつかります。余談だけど、このビデオをとった時の衣装のスカートは、わたしの隣で踊っているチビッコが一昨年の発表会で着たもので、がんばれば着れるかも、というウエストサイズ。しかし悪いことに当時わたしは太り気味で、センセイまさかほんとに着るつもり?というチビッコに、息を吸えば着れるかも!などと大笑いしながら、ほんとうに息を吸ってなんとか着用に成功し、センセイも一緒に踊る!とはりきって参加したもののやたらに振りを間違えそうになるので、チビッコからは「センセイのことあんまり頼りにしないほうがいいんだよね!つられて間違えちゃうもん!」といわれたりしながら、しわが増えるほど大笑いして撮影したものです。あ〜〜ホント楽しかったなあ。このただただ楽しい感じってなんだか久しぶり。もしかしたら3、4才の頃、自分で作った歌に合わせて適当に踊って遊んでいたあの感じと一緒かも。


 2007年02月02日(金)

  やば〜。今頃になって膝が痛い。今までは触らなければ痛くなかったのが、触らなくてもふと痛む。がーん。どうしよう、このままどんどん悪くなったら。と心配していても仕方がないので、それはそれでその時に。とりあえず今のところいつまでに完治していなければならないという期限もないので、ここはひとつまあまあまあ。昨年後半からほんとうにぐずぐずしていて次の予定が今だに皆無なのも、こうなってみると逆によかったかも。
  整体の先生に「今さらって気もするんですが」と、もの心ついてからずっと自分の背骨に違和感を感じていたことを話したら、打撲でもしたのかな?と聞かれた。もちろん思い当たることはないんだけど、「お腹のなかでってこともあるでしょ」と当たり前のように言われて、驚いた。お腹の中かあ。母に聞いてもわからないだろうな。ウエストの後ろあたりにいくつか妙に出っ張っているところがあり、その骨と骨盤の関係がうまくないっていうか、どうもおかしいと子供の頃から思っていたのです。怪我をした記憶もないし解明のしようもないけど、自分が自分として人生を始める前に何かがあって、それが生涯に渡ってかなり重大な影響をおよぼしている。かもしれないなんて、ね。自分は自分だけでできているわけではないってことですね。
  性格とかでも「どうして自分ってこうなんだろう」とうんざりしたりするけど、それは単純に自分に原因があるというわけでもなく、自分よりもっと前のものから繋がって自分の中で形になっていたりするのでは。あ、これってDNAですかね。うんざり度が強ければ強いほど、DNA的に連綿と受け継がれてきた問題が、解決すべき課題として自分の中に現れているっていうか。ここで投げ出しちゃうと、その部分は解決されないままさらに先に受け継がれ続けていく。うんざりであればあれほど踏み止まって自分のところで何とか解決しなくちゃ。そういう責任感みたいなものはあるんだけど、ほんとにうんざりなので あっっっっっっっっっっっっっっっっっ←またまたギークン書、最近思いついたのが、いっそ「うんざりだ」ということを正面から認めてみよう作戦。それでも楽しいこともあるよ、とか、いいところだってある、じゃなくて、くやしいけど残念ながらうんざりだと認めて、そこから始めたほうが早いんじゃいか、って。一見、暗く否定的なようですが、案外、これが最大限前向きなのではという気がする。


 2007年02月01日(木)

  ゆうべはちょっと飲み過ぎて、っていうかそんなに飲み過ぎてはいないのだけどどうやらお酒が弱くなっているらしく軽い二日酔い。アッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ←ギークン書。こんなにツを書かなくても、、、。そういえばゆうべ、たまたまもらった写真展のDMハガキの写真がアマリア・ロドリゲスのステージを撮ったもので、なんだか驚いた。わたしにとってはどこか遠いところで素晴らしい歌をうたっているアマリアだけど、こんなふうに撮影している日本人の写真家がいるんだ。そうだよね、実際いま生きていて歌っているんだもの。アマリアの歌を生で聴くなんてことは想像すらしていなかったけど、聴きたければ聴きに行くことだって不可能なわけじゃないんだ。自分の家にじっと座っているだけでは世界は遠いけど、近寄ってみれば遠いままではないのだろう。なんだかうすらぼんやりしたバカな子って感じですが、こんなあたりまえのことに今さらながら気付いたオレでござりまする。




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