2007年03月31日(土)

 今日は父の誕生日でなんと80才なのです。おめでと〜お父さん。と、日記に書いても本人は知らず。
  生まれてこのかた、特に父と親しく話をしたことがあるわけでもなく、お互いに知らないことが山ほどあると思うが、なぜか、父はわたしのことをかなり理解しているのではないかという確信がある。具体的に何が好きとかそういうことではなく、本質的にこういう人間だというようなレベルでの話だけど。
  最近、大学を卒業してからずっと続けて来た生活にある種の挫折をしましてね、これを人生の転機と捉えて暮らし方を大きく変えようとしているんですが、そんな時、大雑把な説明だけでたいした事情も話していないのに「よし、それでやってみろ!」と新生活の計画にすぐさまGOサインを出してくれて、できるだけ力になってやる、と即答。思い返せば、これまで父はわたしのすることに一度も反対したことがなく、たまには反対してくれた方がよかったのにと思うくらい。そうすれば、もうちょっと人並みな人生を歩めたかもしれないよぅ、なんちゃって〜。
  高校生の時に、ダンスを職業にしたい、と言ったら「それは、そもそも仕事になるものなのかね」と聞かれたが、「わからないけど、やってみたい」と言ったら、もう何も言わなかったし。でも、今、あんまり仕事になっていないので、このままではホントに反対してくれた方が良かった、ってことになっちゃうので、ガンバレオレ〜〜〜。
  残念ながら「お父さん大好き!」という娘ではありませんが、最終的には絶対に味方になってくれる唯一の人っていうところかな。母も味方にはなってくれるけど感情が先にいくのでかえって傷つけられたりする場合もなきにしもあらず、、。
  父に対するこういう信頼感を最初に実感したのは中学2年生の時。その頃、母が自分の好みでわたしの洋服を勝手に買って来るのがかなり苦痛で、なぜなら、母は自分が欲しいものを娘にかこつけて買っている節があり、どう考えても10代の女の子に似合うとは思えない中年マダムの店の物を色がピンクだからというだけで着せようとするので、ある夜あまりにも腹が立ち「わたしはこんな服は着ない」と爆発したことがある。当時のわたしは、自分で言うのもなんだけど、かなり自分なりのこだわりのあるおしゃれをしている子だったので、あまりにも娘の好みから遠く外れた服を着せようとする母のセンスが理解できなかったのです。
  あくる日、学校から帰ると、父が包みを差し出して、開けてみると、ものすごく個性的だけどものすごく素敵なカーディガンが入っていた。今まで見たことも想像したこともないデザインなのに、一目で胸がどきどきするくらい気に入ってじっと眺めていると、「きみが着たいのは、そういうのだろ」とこともなげに父が言った。
  父がわたしにプレゼントをくれたのは、それ一度だけ。その時は、なぜお父さんがこんなにわたしの気持にぴったりな服を選べたんだろう、という驚きだけでしたが、、よく考えてみると、父がひとりで若い女の子のブティックに入ってカーディガンを買う、その様子を想像すると、それは一生分といって余りあるほどの微笑ましさと有難さです。


 2007年03月30日(金)

  今日も。桜渋滞。うちの近所は例のお寺の他に、川沿いに続くものすごく見事な桜並木があり、染井吉野が満開。老若男女が列をなしてそぞろ歩く。出かけたついでにちょっと足を延ばして、その先にある住宅展示場まで散歩。平日の昼間の住宅展示場は人がまばらで、っていうか、犬の散歩の女性がひとり居ただけで、すごく整って綺麗で明るいゴーストタウンみたいでおもしろい。風が強く、桜の花びらがひらひら。いろんな家を外から眺め、ふんふんと思いながら青い空に白い桜が映るのを楽しむ。とはいえやはり花粉症の気があるものだからだんだんくしゃみっぽくなって来て、やはり強い風はNGだったのでした。帰りがけ、川を渡る橋の上の絶好の記念撮影スポットで老夫婦に呼び止められ、撮影を頼まれる。「押すだけです」。オートのカメラってホントに必需品だね。桜の花の下に仲良く並ぶご夫婦をちょっと下から煽って足長に撮る。カメラを返すと、奥さんのほうが「撮ろうか?」と気を使ってくれるが、こちらがカメラを持っていないのに気付いて、一瞬、何を勘違いしたのか自分のカメラでわたしの記念撮影をしてくれようとして、お互いに苦笑する。なんだかなごやかな気分になって、どうも、と挨拶しあって別れた。ファインダーの中に仲良く並んだ2人を見て、いいなあわたしもこういうふうになりたかったなあ、と、お決まりの感慨。誰にでも平等に春は訪れるが、平等な春というものはない。いや、平等な春というものはないが、誰にでも春は平等に訪れる。こう言った方が元気が出ますね。ハックション。


 2007年03月29日(木)

  CDをネットで買うようになったら、どうもこれまで培ってきた勘が働かないっていうか、知らないものを適当に買って当たり!ということがなく、結局知っているものだけど買うことになり、それっておもしろくないんだよねえ。だって、知ってるんだもん。もちろんいいものはいいから、いいんだけど。そもそも音楽の知識も乏しく、だれか詳しい人が身近にいるわけでもない今日この頃なので、これでは拡がるチャンスがないのである。という具合なので最近は新しいものも買わずなにか聴きたい時はあるものをかけるだけになっていたんですが、じゃーん、さっき、同居人の持っているCDの中から一枚借りてみたら、それがすごくよかった。おお、ひさしぶり。
  それは南な感じのエスニックにバルカン半島っぽいジプシーな匂いも混ざっているバンドのCDで、普通に陽気で癒し系でもあるんだけど、スチールドラムがスチールドラムなのになんとも繊細でやさしくて、こんがらがったものがふっとほどけるような瞬間がある。とくにラストの生活音のノイズにかぶせたスチールドラムのソロの曲は何度も繰り替えして聴きたくなる。これを創っている人は、ほんとうにやさしくて、大人でコドモな人なのだろうと、勝手に想像。このソロの曲はダンスに使わせてもらいたいかも。ええと、ヤマムラセイイチさんというミュージシャンの『バンド日和』というCDです。ブラボー。


 2007年03月28日(水)

  あらら春爛漫。うちでは猫が床に寝るようになりました。衣替えなども!と思いつつ、たまったタオルを洗濯しただけで家事終了。ナマケモノ〜。
  近所のお寺が「桜の名所」として昨日のニュースに出たりしたので、今日はよけいに人が多い。明らかにこの辺の道路事情を知らない運転をする車が多く、そういうのを見ていると、もしかしてチビが撥ねられたのはこんなふうに桜見物にやってきた車だったりして、と思う。この道をよく通る人は猫がすごく多いことも知っていて、飛びだしに対する予測というものがある。ちなみに猫が大量にいるのはうちだけでなく、お寺の周囲にあと2ケ所、猫ポイントがあるのです。お寺の入り口はどこかしらなどと思って運転していて、道を横切る黒猫を見落として撥ねていく、うん、充分あり得る。しかもチビは生きていたのでひき逃げだよね。ひどいじゃん。そう思うと桜も憎し。なんちゃって。
  でも、こんな狭い住宅街に過剰に人が集合しているのは明らかで、ちょっと異常な感じがしないでもない。たしかに桜は綺麗だが、何とかいう桃色のしだれ桜と白い花の大島桜が並んで生えているのを一緒に見ることができるというだけで、両方とも大木ではあるが、言ってみればたった2本の桜である。わたしは歩いて2分だから毎年見に行くが、わざわざ遠くから車で出かけて来るほどのものなのか。まあたぶん花を愛でる人にとってはその価値があるのでしょうけどね。猫の交通事故のせいですっかり不風流な今年のわたくし。


 2007年03月27日(火)

  猫が交通事故に!
  昨日のこと。寝坊して外猫に朝ごはんをやるのが昼前になったが、お天気がいいせいで気分はのほほんで、「みんな〜おそくなってごめんね〜」と言いながら気は緩みっぱなし。みんなが茶碗に集合しても子猫の一匹が庭の真ん中にうつぶせたままになっているのを「どしたの?」みたいに眺めていて、みんなが食べ始めてもそのままなのを見て、ようやくおかしいと気付くが、そういえばさっきまでよその大きなオス猫が来ていたのでそいつに虐められでもしたのかな、と思ったりして、ホントにボケボケ。
  チビは近寄っても逃げもせず下半身がぐったりしていて、噛まれでもしたのかな、と思う。出かける時間になってしまったので、ちょっと迷うが夕方早めに帰れるのでとりあえず様子を見て、と、チビを段ボールハウスに移動させて出かける。
  夕方帰ると、チビは箱の中に横たわったままで目だけを大きく開いていた。そこで初めて、これは何か様子を見るどころの騒ぎじゃない事態がおこっていると気付く。
  抱きあげようとすると大きな声で鳴いて痛がり、下手に動かすとパニックになりそう。ケージを近寄せて出来るだけ衝撃を与えないように一瞬ですっと移動させる。考えてみればノラ猫が段ボールにおとなしく寝かされるだけでそうとう異常で、嫌がりながらもケージに入れられた時点でもう一刻をあらそう異変が起きているのは明らかだ。ハシモト先生のところに駆け込むクルマの中で、判断の遅い自分を悔やむ。どうして昼の時点でただ事ではないと気付かなかったんだろう。こんな小さい子を4時間もひとりで放っておいたなんて。
  先生は一目で喧嘩による怪我ではないと判断した。大変なことになっているとき、先生の表情が見る見る固くなるのですぐわかる。
「噛まれたくらいで歩けなくなることはないし、下半身が動かないほどの怪我を猫同志の喧嘩で負うことはあり得ません。たぶん交通事故で骨盤か大腿骨を骨折しています」。がーん。
  でも、この子は庭で倒れていて、どうやって交通事故に遭ったんだろう。クルマにはねられて飛ばされるにしても、庭は高いブロック塀に囲まれている。キツネにつままれた気分になっていると、交通事故にあった猫が、足一本しか動かなくなっても這うようにして戻ってくることは珍しくないのだという。
「塀を飛び超えなければ入れないのなら無理ですが、地面伝いに入れるのならこの状態でも自力で戻ってきたと充分考えられますよ」。
  がーんがーん。うちの周囲は世田谷街道に通じる抜け道で一車線の細い道なのに交通量が多く、しかも一通なのでみんなかなりスピードを出している。チビが横切ろうとしてはねられても不思議ではない。
  少し落ち着かせてからそっとレントゲンを撮った方がいいということになり、そのまま入院させて家に帰る。夜になって連絡があり、やはり座骨と蝶骨を骨折していて、座骨は自然に治るが、蝶骨のほうは手術をしないとそれが内臓を圧迫して排便が出来なくなる可能性が高いという。それはかなり大変な手術で、プレートを入れ、ネジで固定しなくてはならないとのこと。どうしよう。どうしたら?まず、手術がチビの体に与える負担を考えて迷う。でも、手術をしないで排便ができなくなったらつまりチビは生きていけないということだ。なら、大変でも手術のほうがいいよね、チビ。費用はプレートとかが高いので、いつもの「ノラなので実費で」というハシモト先生の善意に甘えさせてもらっても10万くらいはかかってしまうという。どひゃ〜ん。たいへんだあ。でも命には代えられないよ。何とかしろオレ。
  毎日エサを与えているといってもチビはノラで、大勢の黒猫のなかの一匹なので、個体の識別もできない程度のおつき合いだ。が、手術で助かるのなら生きていてほしい。ノラ猫に迷惑している人には申し訳ないけど、生まれたものはやっぱり少しでも楽に長く生きてほしい。冷静でクールな大人なら「残念だけど諦めよう」と思えるのかもしれないけど、そうはいかないバカなオレ。それに、チビは前足だけで這って「家に戻って」来たんだよ。
  チビ、がんばって絶対良くなるんだよ。きみはまだ6ヵ月で、これからもっとたくさん遊んだり木登りしたりひなたぼっこしたりごはんを食べたり、そういうふうに出来るんだから。


 2007年03月24日(土)

  ギ、ギリヤークさんが〜〜!!
友人と、3時に銀座松坂屋の前でね、と約束していたら「家の時計が止まっていた!だから3時半にして」という連絡があり、3時半に松坂屋前に行ったところ、それは実は松屋の前で、しまった松屋と松坂屋はぜんぜん違うのに間違えちゃった〜と歩き出したらすごい人だかりが出来ていて、みんながじっと見つめる先の赤い襦袢を羽織った小さなおじいさんが大道芸人のギリヤーク尼崎さんだった。うーん。まさか、今日ここでギリヤークさんの踊りに出会うとは。
  ギリヤークさんの踊りは10代の終りの頃、新宿三井ビルの55広場で偶然に見た。ラジカセから流れる津軽三味線にあわせて体を地面に叩き付けるように激しく踊る姿は衝撃的で、こんな世界もあるのだと涙が止まらなかった。それまで自分が知っていた美とは別のもので、人間の生きざまそのものがなまなましく、時に醜く力強く切なく、どうしようもなく生きているものとしてそこに在り、つまり生身の肉体とは魂の美を内包しているものなのだと、その時知った。あれから30年近く経って、いろんな前衛的な舞踏も見たし、肉体のぎりぎり、みたいな表現も見てきたけれど、なんの予測もなくいきなり視界に飛び込んできたギリヤークさんに、やっぱり涙が止まらなかった。よかった、横目で見て通り過ぎるような自分になっていなくて。ちなみに黒山の人だかりは踊りが始まると紐がほどけるようにどんどん小さくなっていき、そうか、銀座にお買い物に来たおばさまとかだとこれが当然の反応なんだろうなあと思ったけど、はだけた襦から目をそむけるみたいなお上品な常識人的な雰囲気にはかなり気落ちした。
  ギリヤークさんは今76才で、肺気腫を患い呼吸が苦しくて踊れないかもと思いながら今日路上に立ったのだそうです。踊りが終わって思わず握手をしにいったら、前半は押え気味だったけど熱心に見てくれる人がいたので最後は倒れてもいいと思って精一杯やりました!と、わたしの手を握ったまま直立不動の姿勢で何度も繰り返した。それは、わたしや周りのみんなにというより、天国にいるお母さんや神様に向かって発した言葉みたいだった。今年の10月7日に三井ビル55広場で1時間半の踊りを予定しているそうです。若い人も、昔若かった人も見に行ったほうがいいと思う。こんなことできる人はもういない、そう思います。


 2007年03月22日(木)

  久しぶりに作品を創っているんですが、やっぱり、何か創るというのはいいですねえ。膝がぜんぜんダメな感じなので自分の公演とかは当面まったく考えられないんだけど、自分が踊らなければなんとか、ね。
  来月のフローティングのスタジオパフォーマンスのための作品で、テーマは「音」。世界は音に満ちているということを心暖かく表現する作品にしたいんだけど、今のところ見えているのが2割くらいで大半が謎。つうか、そもそも、世界が音に満ちているというごく当たり前のことがどうして心暖まる表現になるのか、ってことかも。でも!実際に何かの音を聴いた時に心がふと暖かくなるのは誰にでもあることで、ということは、そういう「音で把握される世界観」みたいなものは在るってことだよね。と、かなり低いところで自問自答する状態、ダイジョーブですかぁ〜〜、オレ。


 2007年03月20日(火)

 ボールペンに歯型がっ!ギーチャン、、、。
  昨日は春の墓参りに佐渡へ。新潟は小雪で、佐渡は!吹雪き。大げさだと思うでしょう、でも、本当なんだよ。お墓に向かう道は、向い風に乗って山から吹き下ろす雪で前がまったく見えない状態。しかしお墓に着くと急に晴れ、ほととぎす(かなあ)が鳴いたり。お日様まで出て、実にのどかな春のお彼岸。しかし、お参りを終えるとふたたび雪。帰りは追い風なので前は見えたんだけどさ。
  そして、帰りの船が海上でトラブルをおこし一時立ち往生したりもしました。さっきまで「いらっしゃいませ」とにこやかに乗客を案内していた船員の人達が、狭い船内を緊迫した表情で何か叫びながら駆け回るので「もしかして沈没、、」。ドヒャ−ン。ザバーン←海に投げ出されたところを想像。安全が当たり前だと思ってるけど事故に遭うことだってあるんだよね。日常の緊張感、ちょっと足りなくなっているかもしれません。トラブルの原因は漁網が船の水中翼に引っ掛かったということ。高速船って、エンジンが止まると本当に恐ろしい状態になるのですよ。小さい船なので揺れるのなんの。船酔い。10分ほどで漁網を取り除くことが出来(つうかたぶん波で自然に外れたんだと思う)、無事に帰れて本当によかったです。
  あ、そうそう、JR東日本は新幹線の車内全車両禁煙になったんですよ。おとといからだって。どうりで禁煙車なのにものすごくタバコ臭いわけだ。禁煙車歴2日目じゃね。ところで、個人的にはもうどっちでもいいんだけど、そこまで嫌煙権を主張するのもどうかなあ。むしろ、体に悪い要因を徹底的に排除していくことのほうがもっと体に悪そうな気がする。
  新幹線といえば、もともと気圧の変化に弱かったのが最近さらにダメになってきているようで、新幹線がトンネルに入るたびに耳がおかしくなって、しまいにはおかしくなりっぱなしで、もうわたしは各駅停車ぶらり旅しかできない〜。かも。
  そして、今日は、チビッコの幼稚園の卒園式でした。チビッコがみんなとても立派に参列していて、おおブラボー。ずいぶん大きくなったなあと感無量だが、ほんとはみんなはまだまだ子供で、だからこれからも周りの大人にたくさん手を焼かせて、どんどんいろんな紆余曲折を経ていってほしい。じゅうぶんに子供の時間を味わってゆっくり大人になっていってください。
  最近、自分の人生の行き先が少し見えてきたのか、ちょっと焦り気味なんだけど、心静かに考えてみると、もうたくさんのことは出来ないから、これからは落ち着いて好きなことだけに取り組もうと思うのよ。結果が出ないものはダメなんだ、と厳しく言う人ってかっこいいなあ、そういうふうに言える人になりたいと思ってきたけど、ぜんぜん結果が出せなかったわけで、だからもうそういうことじゃなく、取り組む過程でどれだけ心が動いて感じるものがあるか、それだけでいいじゃんと思うのです。おまえは甘いと言われてもね、わたしにはこういうやり方しかなく、これはわたしの人生で、わたしが見限ったらそこで終わるしかないわけで、だから、わたしらしいやり方で力を尽くすしかないってことさ。


 2007年03月16日(金)

 なんとなくあれよあれよという間に1日が終わる。今日、何をしたっけ、、、。
ギーチャンにノミ発見。ギェ〜。明日、ノミ駆除の薬をもらいにいかなくては。
そして、鋭くのびた爪を切ることに成功。ただし右手の3本だけ。ギーは爪切りをものすごく嫌がって噛みついたり大暴れなので一度に3本切れればいい方なのです。常に付いてまわって寝る時は必ず「ちゅーぱ」だし、寝ながら「クゥ〜」と寝言あるいは甘え声?を出したり、可愛らしいことこの上ないのに、噛みはじめると歯止めが効かない。猛獣。いつかはおとなしく爪切りができるようになるんでしょうかねえ。キュウチャンは相変わらずたいへんにおとなしく、でもギーの攻撃に備えて爪は切らずに伸ばしておく。ただ、見ているとギーに噛みつかれても爪を出して反撃することもしないようなんだけど、まあ、ないよりはましだよね。


 2007年03月15日(木)

  世の中、プラス思考が主流っていうか、ポジティブシンキングってやつですね、しかし、わたしははっきり言ってぜんぜんポジティブシンキングじゃありません。と言うと、間髪入れずに「そんなあ。なんでも物事明るくいいように考えましょうよ〜」と励まされ、そういう人は必ず「わたしなんてめちゃめちゃ前向きに考えちゃって」と付け足す。そうなるとつい「わたしなんかものすごい後ろ向きの性格ですから〜」と、茶らけたりしたくなっちゃうんですが、ええと、ポジティブシンキングがすべていけないとは思わないんだけど、よく見ているとそれを良しとする人は、わりと無条件に物事を前向きに捉えればいいと思っているふしがあり、たとえばなぜ今回事がうまく運ばなかったかなど、事実を見極めようとしていないような気がするのです。たまたま運が悪かっただけだとか、相手が自分の真価を理解できなかったからだとか、まあそういうことも確かにあるだろうけど、でもそれだけで終わってしまうと現実を分析できずに事の本質を見逃すよね、と思うわけ。失敗の原因は自分にあることが多いし、失敗のパターンは癖みたいなもので、案外決まっている。同じ悩みが続くなら、その失敗をいい機会と捉えて、深く自分の底を見つめてじっくり考え反省するべきだ。つまり、いわゆるポジティブシンキングじゃないという意味で「後ろ向き」とかいってみたりしているわけなんだけど、まあたいてい理解されませんね。だけど、だいたい物事がうまくいかなかったときに落ち込みもがっかりもしないのって、どうもわからない。いったん深く沈み込んでどん底に到達した後にポジティブに転じて浮上するってものでしょうが。いつ何時でもポジティブ一色ってどうしても底が浅い感じがしちゃうんだよね、なんて言ってるとどんどん人に嫌われちゃうんだろうなあ


 2007年03月13日(火)

  昨夜、DVDレコーダーがぶっこわれました。がーんがーん。がーん、、、。
  今日仕事で使う予定の映像を編集していて、もしかしてメディアの不具合かも、とDVD-Rを数種類入れ替えて何度も試してみたけど、ハードディスクに作った映像がどうしてもダビングできない。仕事場には映像を編集できるシステムがぜんぜんないので、仕方なくうちに持ち帰って作業するんだけど、数年前にも行事用の音楽CDを編集している時に自分の機材が壊れたことがあって、鬼門にかかっているのではと思うほどさ。自分の作品を作ったりダンスのものを編集する時に壊れるのならまだしも、仕事一色のものをやっている時に壊れるとね、ちょっと泣くに泣けない気分です〜。
自分から申し出て、いわば勝手にやってるんだから文句もいえないしね。それにしても、マルチメディアドライブのPCを買って編集ソフトをいれればこんなこと簡単なんだよなあ。つうか、仕事場のPCに編集ソフトをいれてくれればいいのに。今日、若い同僚に映像が編集できなかったいきさつを詫びると「それって、労災とか効かないんですかね〜」と悲しんでくれる。ああ、きみはいい子だねえ。うえ〜ん。
  夕方、母が怪我をして歩けないというので迎えに行って家に送りとどける。そうなのよね、人間って足が片方ダメなだけで身動き取れないんだよね。どうやら左足首を捻挫しているらしく、しかしもう病院は閉まっているから明日でいい、と、あまりにも本人が言い張るので、シップだけで手当て完了。晩ごはんは、これも本人が「インスタントラーメンでいい」と言い張るので、インスタントラーメン(いいなり〜)。でも創作インスタントラーメン。とろとろに煮たネギだけが具のあつあつのみそラーメンの上に、だしで味付けしたトロロとアボカドを乗せるの。トロロとアボカドが好きな人は、だまされたと思ってやってみて。みそのス−プにアボカドとトロロがものすごくあいます。今日、母の冷蔵庫を見て思いついた意外な組み合わせ(誰ですか〜、異様な組み合わせって言ってるのは〜)。で、今日の教訓。人間年をとったら太り過ぎてはいけません。おんぶもできないし、杖なんか付いてもホントに大変そう。身軽な若者なら残った片足でケンケンして移動できるけど、筋力も落ちているし体重は落ちてないし、ホントにどうしましょう、って感じ。太りすぎって、単に見た目の問題とかじゃなく、特に年をとってからは実にハイリスクな状態なのだと思いました。


 2007年03月12日(月)

  最近、見たこともないキャットが庭をどうどうと横切ったり走り回ったりしている。のに、うちの外猫たちはみんなじっと見てみぬふりでやり過ごしているようだ。わからないでもないけど。なぜなら、うちのはみんな小柄で、たぶん弱い。が、侵入者はどれも驚くほど大きく、のっしのっしとしていて、猫でないわたしから見ても「かなうわけない、、、」。
  それにしてもどこにこんな猫達がいたんだろう。おまえは牛か?と思うような白地に黒ぶちのどでかいのとか、なんという種類だっけ、顔と手足の先が焦げ茶で全身はベージュで目が青い猫いるでしょ(シャム?なのにノラらしい)、そいつもこの間、庭で思いっきり我が物顔にふるまっているので、思わず出ていって注意しちゃいました。シーズンになってうちの大人(男)はどこかに行ったきりで、家にいるのは女子供ばかり。だから仕方ないのかもしれないけど、みんなおとなしくしすぎじゃないの?なわばりとか、いいんですか〜?
  朝晩のごはんに集まるのも子供3匹と、おめんちゃんと、ナボちゃんだけ。ちょっとさびしいけど、みんなが旅立ってくれるのはありがたいことだ。引っ越す時には猫田さんにあいさつして、なんとかみんなの今後を頼むつもりだけど、みんなそれぞれ猫好きの人の庭を見つけて可愛がってもらえるようにするんだよ。それにしても猫田さんには何と言って頼むのが効果的なんだろう?ときどき、いろんなセリフを頭の中で考えたりしてみているんだけど、どうも今一つこれといったものが浮かばないのです。


 2007年03月11日(日)

 ひさびさしぶりでござりまする。なんか最近、日記から遠のいていました。あまり書くこともない感動の薄い日々、だったのかなあ。ここのところ何をしていたのか、ほとんど記憶がないのです。  例年通りこの時期は、所得税の計算。そして例年通り儲かってない数字を目の当たりに。うう。そして、たまに計算というものをしてみてすっかり計算づいたのか、毎月いくら貯金すれば1年でいくら溜まるかというチビッコのような計算をしてみる(典型的な捕らぬタヌキの皮算用です〜)。さらに、家賃をこれから20年払い続けるとすると、東京郊外のかなり不便なところに中古のかなり広めの一戸建てとかを買うのと同じくらいの金額だということも計算して知る。ほう。わたしってたぶんまだ20年以上生きるよねえ。てことは中古の家を購入すれば21年目からの家賃はかからないということになるわけか?  でも、その中古住宅がどのくらい持つかにもよるよね。日本の住宅は耐用年数平均30年と聞いたこともあるから、その中古住宅がすでに築20年だった場合、もしかして建て替えないまでもかなり修繕したり使いにくい状況に耐えなければならないということも充分あり得るわけだ。はあ〜。  こういう計算、もう10年早くしておけばよかった。そうすれば、もう少し計画的に貯金とかもできていたかも知れない。なんとも出遅れていることよ。v っっっっっっcnh←もちギークン。あるいは、チビッコの頃にもっと人生ゲームとかやっておけばよかったのでは。うちはゲンカクな家庭だったので人生ゲームは買ってもらえず(思うに一獲千金みたいな雰囲気がNGだったのでは)、ほんの数回友だちの家でやったことがあるだけ。もっと慣れ親しんでおけば、だいたい人の一生というものは何才くらいで何をするものだというおおまかなイメージが擦り込まれたのではないかと思うのよ。ほんとにどうしてこんなにのほほんと暮らしてこれたのか、我ながら呆れるばかりの春の夜。


 2007年03月04日(日)

  もしかしてわたしって、ええと、もしかして、身の回りがキチンと整理整頓できるようになったらかなりストレスなく幸せになるのでは。
  たとえば、公演が終わればその記録は撮りっぱなしで、結局あとになってわかんなくなっちゃたり溜まり過ぎて整理がつかなくなったり、それとか、もっと日常的なことだと、窓ガラスは今度拭こうと思っていて結局何年も拭かないままだったり、そういうことをきちんとしなくちゃ、という強迫観念めいたものにいつも追われているような気が。する。でござる。だから、そういうことをテキパキとクリアできるようになったら、かなり心が軽く幸せな気分になるのではないかと思うわけで、これって下らないっすかねえ。
  こう見えて、ものすごく美というものにこだわりがあって、自分の感性が美しいと思わないものは出来るだけ目にしたくないというほどなので、自分がもっとも頻繁に目にせざるを得ない自分の家の状況が汚れていたり雑然としていたり美意識にそぐわないものが置かれているのが嫌なのよ。うちに来たことのある人は、ええっ!あんなざっくばらんな生活をしているくせに!と意外に思うことでしょう。しかし。仕事机の上がぐちゃぐちゃとか、猫の砂が散らばっているとか、そういうごく頻繁に起こりうる出来事に神経をすり減らしていて、そういうことにテキパキと対応すればいいんだけど、それがどうもできない。おっと、どんどん神経症。この辺の折り合いがうまくつけられるようになったら、かなりいい感じの人生になるような気がするんだけど。


 2007年03月03日(土)

  いつも耳の中に高周波の音が流れているみたいに、心の中に悲しみがある。のは、執着が強いからでござりましょうか。外猫の世話をすれば近い将来彼らをむげに捨てていくしかないことがのしかかってくるし、過去のビデオの整理をすれば亡くなった人の思い出や去っていった人のことが頭をかすめる。うん、これはやっぱ執着だね。変わっていくことが恐いんだね。猫はエサをくれる人がいなくなれば他の人を探すだろうし、亡くなった人は最期まで精一杯生きたことに満足しているかもしれないし、去っていった人は新しい場所を得て元気にやっているに違いない。
  何もかも無くすんだったらそれもいいじゃない。つうかそれでいいじゃない。出せば入る。出さなければ新しいものが入る余地がない。深呼吸だよ。そして、ひとを心配するより自分のするべきを考えよう。ひとを心配する気持に占領されれば自分がなくなる。自分がなくなれば心配もできない。ん?なんだか変な哲学者みたいですが、ご心配なく。脳の調子はまあまあです。引っ越しが大嫌いなので、近く引っ越さなければならないことでプレ引っ越しブルーになっているようです。


 2007年03月02日(金)

  3月だ、よ〜ん。
  最近また父が枇杷の葉のお灸にはまっている。この枇杷の葉ブームは20年くらい前、母がガンになったときに母の治療が目的で始まったもので(母のガンは治りました〜)、その後は父がひとりで時々思い出したように熱心に続けている。わしは10年ほど前から左耳が聞こえないんだが、(ええっ知らなかった!)このお灸はいいぞ、なんだか治りそうな気がする、という父の嬉しそうな様子は、お灸の効能を誉めているのか、お灸をしている自分自身を誉めているのか。どっちにしろ良いことではある。わたしも膝にあててみようかな。そして耳鳴りの止まない左耳にも。
  父は、自分は120才まで生きるつもりだ、と言っていて、先日テレビを見ていたら父と同年配のお医者さんが、自分の寿命は120才だと思う、と言っていた。うーん、昭和ひと桁恐るべし。番組でその先生の食生活を含めた日常生活が紹介されていたが、それはたいそう心と体を大切にしたものだったので、これなら120才まで生きても不思議はないな、と思った。うちの父の生活は彼なりの健康法に満ちてはいるがストレスもまた満載なので、120才まではちょっと難しいのでは、、、。わたしはといえば、80才もおぼつかない気がするので、よけいにぼんやりしているわけにはいかないのでござる。




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