2007年05月31日(木)

  今日は弟の誕生日。弟とは9才離れているので、小さい頃は何ていうか、兄弟というより自分の赤ちゃんみたいな感覚で可愛がっていました。しかし年が離れているので一緒に暮らした時間も短く、馴染みが薄いのも事実です。
  弟が大学生の頃までは誕生日には必ず、知恵をしぼって何か喜びそうなものをプレゼントしていましたが、ある時、わたしの誕生日には何も貰ったことがないのに気がつき、それどころかよく考えると「誕生日おめでとう」と言われた記憶もなかったので、もしかして彼はわたしの誕生日も知らないのではと思い、そうしたら何となく気分がしぼんで、それ以来弟の誕生日に何か贈ることもしなくなりました。あんがい小さい人間です、、、。
  最近では弟も立派なオジサンになり、3児の父。あまり交流もなく、会うのは家族に何か問題が発生した時のみ。つまり、深刻な状況下でしか会わないので、お互い深刻でうんざりな印象がインプットされているようなところがあります。わたしとしては年が離れている分、弟よりは人生の気微に通じているという自負があるけど、彼にしてみれば家族会議の場で偉そうなことを言う煙たい姉という認識なのかもしれないなあ。事実、言うだけで金と力はなかりけり、だしね。
  考えてみれば、わたしは自分ではかなり真面目に生きている人間だと思っているけれど、家族から見るとふだん何をしているのかどんな日常を送っているのか得体がしれず、時々ふらっと帰って来るトラさんみたいなものなのかも。、、、、、、、、、、、、、、。点、長いっす。


 2007年05月30日(水)

  雨が激しい夜って、車線が見えなくなりませんか?ここだけの話、今日みたいな大雨の日はけっこう勘で走ってます。そのくせ、隣の車線の車がこっちにはみ出してくると、ちょっとちょっと〜!と独り抗議。自分が車線さえ見えてないことを思えば、あんまり文句も言えないんだけどね。
  右折レーンの無い交差点で、気持右に寄せた程度で堂々とウインカーを出して止まっている車がいると、あんたがもうちょっと右に寄ればこんなに後ろが渋滞しなくてすむのよ、と、イエローカードを手に指導に行きたい気分、メラメラ。あと10センチ右に寄せれば後続車が通れるのに、その辺の気遣いが出来ない人ってまったく、と思っちゃうんだよね。
  自分が運転が上手になったわけでは決してないのですが、さすがに最近は人の運転を見る余裕も出て来て、運転観察は、見ず知らずのドライバーの性格判断にまで発展し、、、。そこまでちょこちょこと車線変更するってことは、相当なせっかちで、焦るばかりでかえって損をしがちでしょう、とかね。だからというわけではないんですが、運転する時は独りが好き。誰にも気を使わずに自分の性格を思う存分むき出しに出来るというのが、なかなかのストレス解消でもあるわけです。


 2007年05月29日(火)

  うさぎの腕輪、大好評でした。今日のレッスンでご褒美が貰えたチビッコは4人。腕輪を着けてうっとりしているチビッコに、これからもどんどんレッスンしてうさぎの腕輪の第二弾、第三弾を集めてね!と言うと、目がキラキラ。やっぱり女の子って可愛いものが好きなんだなあ。センセイにとっては、うさぎの腕輪よりそうやってうっとりキラキラしているキミ達のほうがずっと可愛いけどね。
  というわけで、腕輪地獄は必至ですが、チビッコが喜ぶなら、そして、腕輪を励みに日頃からストレッチをするのなら、もうライフワークのように腕輪を作り続けてもいいと思うのさ。今までは、元気でのびのびだけがうちの教室の特徴でしたが、これからは!「ダンスが上手」という要素も追加するという計画なのでござる。ご褒美欲しさにレッスンとは如何なものかとも思いますが、いいんじゃないかな。どういう理由であれ、わくわくしながら何かを積み重ねるのって楽しいじゃない。もう少し大きくなったらご褒美の形が自分の心の中の充足感などに変わっていくだろうし。
  小さいこどもはとにかく手をかけて楽しませて、誉めて誉めてと思います。そして最近、大人の人も手をかけて誉めて誉めて、を必要としているのかも、と感じるようになりました。とにかく人間は誰かに自分を認めて欲しい、自分の感性をわかってほしい、その気持の強弱はあっても、生涯そう願いながら生きていくような気がします。
  人は誰でも心の中に愛されたいと願うちいさな子供を内包している。数年前に自分のソロの作品のサブタイトルにしようとして、ちょっと暗すぎる、と、ボツにした言葉です。自分とまったく同質の反応でうさぎをじっと見つめるチビッコ達を眺めていて、ああ、わたしたちって基本的な種は同じなんだな、と、数年ぶりにこの言葉を思い出しました。
ところで、ここまでうさぎの腕輪を話題にするなら、写真くらい載せるべきだよね。しかし。カメラは充電してなくて、携帯は画像がいっぱいでもう保存ができないの。うーん、ずぼら〜。


 2007年05月28日(月)

  うう〜久しぶりの針仕事。なまってますね、手先。あ、チビッコダンス教室の「おうちでレッスン」のご褒美の品物作りです。
  当初の予想に反して、ものすごい勢いで「おうちでレッスン」してくるチビッコが多数いて、はやくも一枚目のシートが続々と完了。明日のレッスンでご褒美を渡さなくてはならず、、、。そのご褒美を前日に慌ててセンセイが作っているということはチビッコには内緒デス。
  何を作ったかというと、うさぎの顔のついた腕輪です。既成品の何か可愛いものにしようかとも思いましたが、気に入るものが見つからず、そうだ、自分はヌイグルミ作家でもあったのだ、ならヌイグルミの技をここで活かそう!と思い立ったわけ。いまのところ7つ完成。可愛い、、。チビッコは全部で25人。そして、レッスンシートは2枚3枚と続けていくので、わたしはこの先ずっとこのうさぎの腕輪を作り続けていくんだろうか。、、、、!腕輪地獄か?


 2007年05月27日(日)

  パソコンも古いし携帯も古い。かなり大幅に時代に乗り遅れて井vbvっっっっっっっっっっっっっっっっっb←ギークン書、時代に乗り遅れているワタシ。を、心配して、いや、哀れんで、先日、友人が使わなくなったI-POTナノ(ああっ乗り遅れ過ぎて正しい表記がわからないっ)をくれました。おお。すごい。音のクオリティにびっくり。そして荷物を1グラムでも軽く!が信条のわたしとしては、このストレスのない驚異の小ささに感激。楽ですねえ。流行るはずだ。
  そしてさらに昨日、友人が「DS、やってみる?」。初めてDSで英語漬けになってみました。おお。楽しい。英語の苦手な大人の心をガッチリつかむはずだ。良くできてますねえ。そうか、世間の人々はこんな楽しいことをしていたのか。やっぱり人気のあるものにはそれだけの理由がありますね。感心。
  そういえば、いまだに「スイカ」も「パスモ」(カタカナ表記でスミマセン)も持っていない。使い方とかあんまり知りません。持っていないのはチビッコを抜かすと、わたしの知る限り、うちの両親くらいかな。彼等はほとんど電車に乗りませんからね。知り合いの話ですが、「スイカ」で食事とかもできちゃって、それも交通費として経費に算入できちゃうけど、いいのかなあ、ですって。うーむ、そういうこともおこってくるのか、、、。
  どっちにしろ世の中微妙に、しかし、かなりの速度で変化しているようで、世の中に普及する新しい技術を使うか使わないかで、身体的な感覚にもズレがでてくるような気がする。わたしの友人にいまだに携帯を持たない人がいて、PCのメールでやりとりするんだけど、ちょっとした約束をするのに何日もかかったりして、何となく時間の感覚が違うなあって感じ。でも本人はぜんぜん不便そうじゃないので、まあいいのでしょう。
  時代の先端を行っても、どーんと乗り遅れても、本人が自分のあり方を楽しむのが一番なのだろうけど、わたしとしては、駆け込み乗車くらいの感じでなんとかついていきたいな、ってところですかね。だって、新しい技術に伴って身体感覚が変わっていくなら、それを一応は味わってみたいもん。


 2007年05月26日(土)

  ギークンはこのところ紙袋に夢中。中に入ってうっとりしたり、ビリビリと破ったりチミチミと噛みちぎったり。2代目もだいぶボロボロになったなあ、と思っていたところに、中身を取り出してふと床に置かれた紙袋を発見。3代目!さっそくin。今度のはジャストサイズ。気持イイ〜(写真1、2)。
  ギークンが立ち去った2代目に静かに歩み寄り横たわるキュウチャン。貴婦人のような優雅な物腰ですが、敷物はボロボロ。いや、細かいことを気にしないのが高貴な猫というものなのさ(写真3)。
  こんなときナナチャンはどうしているかというと。奥の部屋でひとり曝睡。ただの黒いかたまりにしか見えないので写真はアリマセン。そう、黒猫って写真に撮りにくいんだよね。ヌイグルミも黒いのは可愛く撮れなくて苦労するんだけど、猫もまた然り。全部黒くなっちゃって。黒いから当然なんだけど。しかもうちの床も黒だったりするので、まさに保護色状態。実際、見えなくて踏んじゃうことしばしば。
  あ、ギークン、この間1才になりました。たぶん5月20日前後が誕生日なのです。小振りのペットボトルを入れるためのタオル製の袋を「ギー袋」として利用していた赤ちゃんの頃を思うと、にゃんと立派なにいちゃんになったことよ。もう重くて片手では持てないし、弾けるような筋肉質のボディがなかなか男前です。あっ。もしかしてギーの袋好きは、赤ちゃんの頃の「ギー袋」由来している?まだお母さん猫が恋しい年頃なのだから、と、柔らかいタオルの袋にくたくたで壊れそうな赤ちゃんのギーを入れて、だっこしてあやしたりしていたのでした、、、。


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 2007年05月25日(金)

  そういえば昨日も日付けを25日だと思っていたような気がする。今日がほんとの25日でござった。
  ラジオで夏のボーナスが過去最高の伸び率だと聞く。もちろん大手企業の話ですけど。どういう数字なのかよく憶えてないけど97万?とか。すごいなあ、大手企業って。世の中にボーナス一括という支払い方法があるのがようやく理解できた気がする、、、。
  収入といえば、わたしの場合、いわば歩合制(?)みたいなものなので、チビッコ倍増計画!をめらめらと心に描いてみたりしていますが、現実はなかなか。どうも世の親御さんが求めるダンス教室と「神蔵香芳のチビッコダンス教室」のあいだには限りなく遠い距離があるらしい。レッスンを体験しに来て、子供本人はかなり楽しそうに一時間レッスンをしていくが、結局入会しない人もわりといます。がっくり。そういう人は何も言わずさっさと去っていくので理由ははっきりとはわかりませんが、おそらくもっときちんと整ったレッスンという雰囲気を求めているんだろうな。わたしなんか「子供があんなに活き活きと元気よく楽しそうにしているのは素敵だ!」と有頂天になってしまうけど、そういうものではないらしい。あれ、今日、愚痴モードですかねえ。
  だいたい、うちの子たちは、きちんと並んでそのポジションをキープして動くということができない(つうか、させてない)。最初の挨拶とストレッチだけは並んでするけど、あとは並んで順番に何かするということはほとんどなく、稽古場を所狭しと全員が一緒に動き回ることが多く、しかもその動きが、「お花のところに、いい匂いの風が吹いて来ました〜」とか言って、みんなが勝手に自由な動きをするものだから、無秩序なことこの上ないのでしょうね。レオタードの色も各自の好きな色で、ばらばらだし。ただみんなが自由勝手に遊んでいる(あるいは騒いでいる)ようにしか見えないんだろうな。3、4、5才という年齢を考えると、決まりごとを最小限にして、自由に楽しんで動くことを優先するという方向性はまちがっていないような気がするんだけど。あ、そうか、その自由がどこに繋がるかが見えないと説得力がないってことですね。それって、つまりわたしってことか〜。うーん、たしかにぜんぜん説得力がないかも、、、。


 2007年05月24日(木)

 夜風が涼しくて気持いい。今日も暑かったですねえ。
  5月なのにこんなに真夏な気温はやはりどう考えてもおかしく、日本の近海の水温の上昇は世界の平均の3倍だったでしょうか?身近なところからでも何とかしていかないと大変なことになる、そういう危機感はみんなが持っていると思うけど、やっぱり今年も冷房を使うし、プリウスに買い替えることができるわけでもなく、、。とりあえず仕方ないよね、と一日一日を積み重ね、20年か30年後には北極の氷が消滅したりするわけだ。と、思いっきりブルーになっても仕方がないので、せめて、あと10年で世界が終わるとして、悔いのない毎日を送るように心がけよう。と、思ってみると、妙にエネルギーが湧くから不思議だ。あと10年ってことは、後世に名を残す必要もないし、それどころか老後の心配とかもないわけだし、とりあえず10年なら、やりたいことを力一杯やって生ききれればいいや、って思うもん。この年になると10年なんてあっという間だということも身に沁みているから、もし今のままのビンボーアーティストでもあっという間の10年ならなんとか楽しくがんばれるのではないかと思えるし。この先、一生うだつが上がらないんだよと思うとぐったりするけど、そう、一生なんてものは、きりなく長いような気がしても案外短いもので、それならいろんなことを恐れず、あと10年と思って思いっきりやるのがいいんじゃないかな。結構、きちきちとした性格で「思いっきり」というと一部の隙もなく時間を有効に使わねば、などと思いがちだが、しかし、もうこの際、怠けたり、ぼんやりしてもいいということで。だらだらと遊びながら、時間を無駄に使って、何もしなかったり、ちょっと何かしてみたり、ただ、自分のしていることを後悔することなしに、たいした成果が上がらなくてもそれでいいんだと思いながら、みんなにでくのぼーと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういうものにわたしは、、あぁ〜ちがう、ぜんぜんケンジじゃない〜〜!!
  どう転んでもケンジのように人に尊敬される偉い人になれるはずもないので、自分の出来ることをできる限りやればいい、そう思うのがベストだってカンジ。


 2007年05月23日(水)

  喪失は所有を確固たるものにする第二の所有にほかならない。何年か前に書いてボツにしていたダンスの台本のなかからこんなフレーズを発見して驚く。といっても、これ、たぶん引用です。バルテュスの絵本?に『ミツウ』というのがあって、拾った猫がある日突然いなくなってしまったことにたいする少年の心の機微が鮮烈に描かれている作品なのですが、その序文をリルケが書いていて、たぶんそのリルケの文章の一部なんではないかいな。数年ぶりに改めてこの言葉を目して、ちょっぴり感慨深い初夏の夜。この数年で大切な人が亡くなったり、親しくしていた人と別れたり、その手のことがかなり頻繁にあったけど、今こうして心静かに考えるに、「第二の所有」に至る喪失というのは無かったかもしれない。喪失は喪失で、それ以上のものではなく、日が経つと薄れたり、いつまでも喪失のままだったり。ちゃんと付き合うのはもちろん、別れ方もちゃんとしていないと「第二の所有」にまで昇華するのは難しいのでしょうね。
  今年は、衣替えをしそびれちゃって、冬服のまま夏。明日あたり、ちゃんと入れ替えができるといんだけど。ちょっと目を離したすきに庭の雑草も伸び放題。ここで過ごす最後の夏だと思えば丁寧に気持よく生活しようという意欲も出るかと思うのですが、日々の猫の世話だけで手一杯で、自分の家事能力ってかなり低めなのではと思う今日この頃です。


 2007年05月20日(日)

 外猫に朝ごはんをやって部屋にもどり、しばらくすると、庭をすばやく動く黒い影が。カラスです。猫のごはんねらい。外猫とはいえ、うちのは案外だらだら喰いで、それに、遅れて来る子もいるので、お皿にごはんが残っていることがあるのです。普段は来てもせいぜい2羽程度で、それなら猫が自分で威嚇して追い払えるんですが、今日はちょっと違うみたい。カーテンを開けてみると、すぐに飛び去ったけど、4羽はいたかな。さらに数分後、なにやら異様な気配を感じた時にはもう「カア〜カア〜カア〜」の大音響に家が包まれていました。
  サラウンド。こんなの初めて。こりゃあ、なんとかせねば。食べ切ればいなくなるのはわかっているけど、こんな「カア〜カア〜」にはあと一秒だって耐えられない。それに、わたしは猫にごはんをやっているのであるから、むざむざとそれをカラスに取られるわけにはいかないのさ。でも、カラスは恐い。そして、それがばれたらなめられるかも。で、及び腰をやつらにさとられないように平静を装って庭に出る。たまたま庭に出たところカラスに遭遇したけどぜんぜん動揺してない人、というコンセプトです。
  庭に踏み込むと、そこは、まさに黒山の人だかり状態。たぶん、10羽かそれ以上。ちいさな猫のお皿の周辺にそれだけのカラスが密集しているのって、ちょっとゾッとする光景ですよ。もし、攻撃されたら大怪我か。いや、死ぬかも。
  とにかくこの集団に一刻も早く立ち去ってもらいたい。という気持がばれると攻撃されるかもしれないので、さり気なく「キミタチには関係なく、猫のお皿を片付けにきた人」という演技で、すっとお皿に近づく。次の瞬間、全カラスがブロック塀や電線に移動。バサバサバサって、この羽音だけでもただ事ではにゃい。お皿を中心に円型で待機し、こちらの動向をするどく見つめる黒い集団をまったく意識してない演技で、お皿を取り、退出。幕。ふう。じつに演技派?な朝のひとときでした。
  それにしてもカラスに限らず、集団って不思議です。エネルギーが爆発的に増大していく感じとか誰にもコントロールできないものがあるでしょ。集団は必要なものなんだけど、それが個を活かすためのものとして機能するのではなく、集団のための集団になってしまうとちょっと恐い。っていうか、白状しちゃうと、細かい理屈なしに、集団は苦手です。集団行動はもちろん、制服とかお揃いのユニフォームも苦手で、だからこんなふうに独りで勝手にできる仕事をしているのかもしれません。


 2007年05月18日(金)

  今日は整体の日。先生に「今月は、腰痛になっていません!」と報告。先月も先々月も整体に行く直前に腰痛になっていたので、久しぶりの腰痛でない整体なのでした。
  背骨を診て「うーん、いいね」といわれ、ビックリ。整体で「いい」という言葉を聞いたのは初めてなのです。今までは、鉄板のような背骨だったらしい。今日は適度に柔らかく、先生曰く「なぜっ」。なぜっていわれても、、。少しだけ活元運動をしたり、一番違うのは踊ってないってことですかねえ。あ、でも、踊ってないのは先月も先々月も同じでした。いってみれば、去年の暮れからずーっと長い休みを取っているような状態ですからねえ。まあ、ゆっくり休むことも必要だったということでしょう、と先生。そして、足先を外に向けたり内に向けたりして骨盤の調子をみながら、ゆっくり動いてみるのもいいかもしれませんよ、とアドバイスしていただく。膝と骨盤はすごく関係があるのだそうです。こんなに治りが悪いのは骨盤に関係があるってことなのでしょうか。まったく努力をしないせいで先生にはほとんど見放されていると言ってもいいほどだけど、最初に診てもらった時に生涯踊りたいと言ったことを気に留めてくださっているようで、時々すごく気持に響く(っというか、体に響く)アドバイスをしてくださる。ちょっとやってみようかな。
  家に帰ると、ナナチャンが出かけた時と寸分違わぬ状態で熟睡していて、ちょっと心配。そんなに寝てばかりいていいのか〜?と言ったそばから自分もくらくらと眠くなりまだ夕方なのにしっかりふとんで熟睡。ナナチャンもさらに熟睡。キュウチャンもギークンも集まってきて熟睡。熟睡家族。わたしが寝ているとみんな今は寝る時間だと判断するらしい。
  最近、きわだって楽しいこともないが、激しく落ち込むこともなく、感情的に平たん。わりと楽です。やけ酒とか飲まないし。嫌なことや不安なことを含めて自分をかなり客観的に見ているようで、うーん、こいつこれから大変だろうなあとか、大変だけどなんとか乗り切るだろう、とか、がまんしているけど相当頭にきているな、とか、こんなことを第二の自分が言っていて、それを聞くとあまり深刻になったり動揺しないみたいです。そういえば昨年「わたしタバコやめましたの」と言ったのも第二の自分だったのかも。
  ヘッセの短編『イリス』の中に、現実の事象はすべて美しい仮象に過ぎない、というような文章があったけど、なんかわかるデス。日々の仕事も生活も確かに在るんだけど、その奥にもうひとつ別の層が在って、目に見えないその層を象として捉える手段として現実がそれにシンクロしている。つまり、この現実を通して、もうひとつの現実に近づこうとするのが人生なのでは。仏教では、その層を実相という(のかな?)。いきなりですが、嫌なことがテンコモリで気が変になったわけではございません〜。20代の頃から何となく見定めかけていた人生の目標が、最近ようやく実感をともなうものになってきたということなのかもしれないです。40にして不惑。規定通り。いいぞ〜、オレ。


 2007年05月16日(水)

 久しぶりです〜。ここのところ、珍しく旅行に出かけたり、なんだかんだとバタバタしていました。こっちが留守がちだったことで、猫は猫同志の猫社会が出来上がったみたいで、それぞれが適当な距離を保ちながらうまくやっていけるようになったみたい。習うより慣れろ。ん?可愛い子には旅をさせろ。あ、旅はわたしでした
  そうそう、昨日、キッチンの流しの上を歩くナナチャンを目撃。おお、飛び上がれるようになったんだ〜。膀胱炎も治って、落ち着いたキャットになってきました。まだまだ呼んでも知らんぷりですが、ギークンが甘えてふとんに入ってきたりすると、ふとナナチャンも一緒に甘えてみたくなるらしく、思わずふとんに入ってきてゴロゴロ。いったん甘えはじめると歯止めが効かないらしく「そ、そこまで、、」とびっくりするほど自由奔放に甘えまくるくせに、急にハッと我に帰って飛び退いたりして、二度びっくり。警戒しなくてもいつも同じわたしなのにねえ。ちょっともどかしかったりもしますが、仲良くなるコツは、とにかくナナチャンがどうしたいかを優先する事なので、深追いはせず。来る猫は拒まず、去る猫は追わずってとこですかねえ。
  ところで、ふとんといえば、すごく肌触りの柔らかい毛布に買い替えたところ、あまりにも心地いいので、なにかとふとんに入って寝てしまいたくなるんですけど。これっていったい善いことだったのでしょうか。


 2007年05月11日(金)

  昨日ナナチャン無事戻りました〜。先生の話では手術をして2週間くらいしないとホルモンの調子がおさまらない(?)子もいるらしいんだけど、ナナチャンはもうすっかり落ち着いて、ずいぶん楽そうです。よかった。頻繁にトイレに行くのにオシッコが出ないのも心配だったけど、それもわりとよくあるケースで、膀胱炎を併発していたらしいです。たぶん自然に良くなるだろうとのこと。
  交通事故に遭ったナナチャンを保護してから約1ヵ月半、ケガの経過や、キュウとギーとの折り合いなど、いつも猫の事を心配していたような気がするけど、これでやっと一安心できそうです。ホントにね、思えばこのところグレーのシマとクロばかり眺めて暮らしていましたが、屋外に目を向けてみれば季節は初夏で、木々の緑が美しい。5月って1年で一番美しい季節かも。
  緑がこんなに美しいのは、成長する若い生命力の発現だからなんだ。と、ぼんやりしたような、はっきりしたような気分で窓の外を眺める。目に見える形の中には、そういうなにかが内包されていて、それが善いものならば美しく好ましく目に映るってことでしょうね。つまりわたしたちの目が見ているのは、本当は内側に秘められたもので、つまり、目に見えてないものを見ているということ。わたしたちって、、、オール超能力者!


 2007年05月10日(木)

 昨日ナナチャンを入院させました。避妊手術です〜。
最初は単に外に出たがっているんだ思っていたのですが、あまりに激しく鳴き続けるので「これはもしかして?」「ああ絶対にそうだ!」とナナチャンがシーズンに突入していることを確信。メスを飼うのが初めてなのでよくわからないんですが、こんなに鳴くものなのでしょうか。大騒ぎするのはオスだけだと思ってました。よく春先や秋口に外で猫がドスの効いた声で騒いでいるでしょ、あれを枕元でやられたんじゃ、いかに猫バカといえども3日と持ちません。寝不足。なにより精神的にぐったり。キュウもギーも同居人も、おそらく2階に住んでいるご夫婦も(苦情は来ませんでしたが)。そしてナナチャン自身も、どんなに鳴いてもなんともならないので、ほんとうに辛そうでした。病院の予約時間までが限りなく長かった。思わず「いっそ外に出しちゃおうか」と弱気になったりしましたが、いかんいかん、これって「いっそこの子を殺してわたしも、、、」みたいな追い詰められ方じゃん。関係者全員、誰も幸せにならない感じの3日間も、ナナチャンがおとなしい普段のキャットになって帰ってくれば万事オッケーなんだから。
  ここだけのハナシ、、絵に描いたようなシーズン真っ最中のナナチャンにびびりまくるキュウとギー(共にオス、手術済)でしたが、どうもナナチャンはキュウチャンにアタックしていたみたいで、ふと静かになったので部屋を覗いてみると、キュウチャンがナナチャンにマウントしてました。わたしと目が合って固まるキュウチャン、ママにまずいところを見られた高校生じゃないんだから、、。そして、思わず「失礼」と言って立ち去るオレって、、。ギーチャンは、何のことだかぜんぜんわからにゃいらしく、ひとり寂しく(ない〜!)いつものギーでした。
  というわけで、ゆうべは久しぶりに家族全員(おそらく2階のご夫婦も)曝睡。今日の夕方、ナナチャンを向かえにいきます。


 2007年05月07日(月)

  今日は道が空いてましたねえ。いつもなら1時間のところが30分。って速すぎない〜?でも、道が空いててその上信号にあまりひっかからないと、こうなんですねえ。オドロキ。
  ナナチャン、だいぶ足が良くなってきたのか、ゆうべからものすごく外に出たがって大きな声で鳴き続け、家族全員寝不足。そして近所にも迷惑になっていやしないか、まじ心配。今日もすべての窓を順番に廻って外に向かって演歌歌手のような良く通る声で悲しそうに鳴くので、「そんなにお外に出たいなら、足が完全に良くなったら出してあげるから」と約束。完全に良くなったかどうかは、高いところに飛び乗る動作が自然に見られるようになることで判断しようと思います。まだ普通の猫のように飛び乗る動作がないので、もう少し家の中で我慢してちょうだい。やっぱり外の楽しさを知っている子には家の中は辛いんですかねえ。外に出すけど家に帰って来る飼い方もあるし、どういうふうに落ち着くかはわからないけど、ナナチャンの幸せが最優先。わたしとしては出してしまうのは寂しいけどね。そして、ナナチャンはまだ避妊手術をしていないので、もしかして手術をすればおとなしく家の中で暮らせるようになるのでは、と一縷の望み。すぐに手術をしたいのはやまやまですが、一昨日までちょっとしたことで怯えて隅っこに逃げ込んでいたので、再び病院に連れていくことで何かトラウマめいた恐怖を感じさせてはまずい気がして、躊躇しているけど、実際はどうするのが一番いいのかよくわからないんだよね〜。とりあえず明日と明後日は病院に行く時間がなく、そしてその次の日は病院が休みなので、必然的に金曜日までは様子を見るということになるにゃあ〜。
  ナナチャンが来るまでは手のつけられないアバレンボウだと思っていたギークンが、最近ではものすごくよく心の通じ合うオリコウさんに感じられ、つまり何でも相対的なのです。
  左手の小指と薬指が、たぶん腱鞘炎です。原因は、、子供の日の鍋磨きか〜?がーん。明日から仕事でピアノを弾かなくちゃいけないのに、困ったことでござる。


 2007年05月06日(日) 

  ナナチャン、慣れたとはいえ、それはナナチャンルーム限定ってことらしいです。
  昨日、ふと下におりてみたもののうまく2階のルームに帰れなくなり、隅っこの暗がりに縮こまって、見ていられないくらいの怯えぶりでした。無理に捕まえると余計に怖がらせてしまうので、可哀相だけどなんとかナナチャンがきっかけをつかんで自力で帰るのを待つしかなく。
  ナナチャンルーム内でなら、膝だっこも撫でも大丈夫でゴロゴロなのに一歩外に出ちゃうと、わたしもものすごく未知で恐怖な存在に変身するらしい。さっきまで仲良しだったじゃん、同じ人なのよ〜〜、と説明するが効果なし。ほんとは、そろそろナナチャンが下におりてきて、キュウチャンやギークンと一緒に遊ぶようになるといいなと思っていたのですが、もっともっとゆっくり時間をかけなければならないようです。
  しかも、どうやらギークンはナナチャンを嫌い?らしい。がーん。ナナチャンがすりよっていくと、ギークンは噛みついたりしている。そういう態度が目立ち始めたのは、数日前ナナチャンがギークンのお気に入りのムートンに寝ようとしたあたりから。ああっ、そんな心の狭いオトコの子に育てた覚えはありません、、、。ギークンにしてみればナワバリってことなのでしょうけど、そもそもギークンだってキュウチャンのナワバリに入ってきたくせに。
  てなことが言えるのは、わたしが当事者でないからかもしれませんねえ。ギークン自身はぜんぜん悪気もなく、たぶん自分を世界一善いキャットだと思っているみたいよ。こんなことって案外、人間の世界でもありがちって気がしません?大人になっちゃうとそういうことをきっぱり指摘してくれる人もいなくなるから何となく流しちゃうけどね。もしも「ああっそんな心の狭いニンゲンに育てた覚えはありません」なんて言ってくれる人が居たら、神様の代弁者として素直に拝聴すべきなのでしょう。


 2007年05月05日(土) 

  昨日からどうも妙なくしゃみがとまらず。ギークンもくしゃみをしており、ギークンは猫の中で一番わたしについてまわっていて、最近シンク下の扉がきっちり閉まっていない時に何度か中に入ったりしていたことと、シンク下の物入れをあけるとどうも嫌な匂いがするような気がすることから、「シンク下にカビがはえていて、そのカビでわたしもギークンもくしゃみがでる」という仮説をたてる。ぎえ〜。おそろしや。カビだとして、それがなぜ昨日から急に気になりだしたのか(気温の上昇?)、そもそもいつからはえていたのか、まったくもってナゾですが、古い住宅の建材にカビが発生することは決して珍しいことではないようなので、とにかく掃除をすることにする。棚の中をキレイに拭き、収納してある鍋類をすべて洗い、ついでにこびりついた汚れなどもゴシゴシ。鍋の磨きすぎで指の指紋が磨耗、、。溝が薄い、、、。
  とりあえず一番気になっていたところだけはなんとかキレイにできた、かな。ついでにもう使わないてんぷら鍋なども処分。すこしすっきり。しかし、その後もくしゃみハナミズはとまらず。カビ発生仮説が間違っていたのか、あるいは、もっともっといろんなところにカビが発生しているのか。あな恐ろし。
  ぜんぜん関係ありませんが、ものすごいコーヒー好きで朝から晩まで切りなくコーヒーを飲んでいたわたしですが、最近、ほとんどコーヒーを欲しなくなりました。朝も、ハーブティーか紅茶です。にゃんと軟弱な。今日、久しぶりにスーパーに買い物に行ったところ、肉とかそういうガッツリしたものにぜんぜん食指が働かず、納豆ごはんが食べたいな、みたいな。なんですかねえ、これ。つまり、老化、、、?せめてチーズでも、と思ったが、選んだのはモッツァレラ。、、、。「老化」の前から、あっさりした食べ物の方が好きだったとはいえ、最近ちょっと極端なのでは。晩ごはんの時にお酒を飲まないなんて信じられない、と思っていましたが、けっこうお酒を飲まない時もあり、、。こんな日が来るとは、、、、、。さようならカフェインさようならアルコール?、、、今日は点が多いデス。


 2007年05月04日(金) 

  フローティングのために書いている作品、やっとまとまってきました。
膝の怪我の関係で、自分ではできない動きも多く、動かないで付けているからいい振りが出来ていないのか、付けても付けてもダンサーに振りが入らずどうしたものかと思っていましたが、構成を整えてセリフを入れたあたりからまとまってきて、わりかしいい感じになるんじゃないかな。
  今日は、先日の稽古では音を使わないでセリフだけだったシーンに新しい曲を2曲追加。音をかぶせて動きでシーンをふくらませることに。
  ところで、この選曲、かなりベタではあるんだけど、選び方に我ながらびっくり。1発決め。うーん、とかいいながら、買ったまま聴いてないCDの山からふと手にとったものがビンゴ。2曲とも。なにこれ。久しぶりの新作をダンスの神様が後押ししてくれているとしか思えない、、。とメロメロしまうほど集中して熱中して作品の細部を詰める。楽し〜い。やっぱりものを創れるのが自分にとって最高の幸せだ。これ、いつか自分でも演ってみたいなあ。膝が相変わらずなことを除けば、猫もいるし、天気もいいし、けっこういい連休です。         


 2007年05月03日(木) 

  おおっ今日はこんなにいい天気だ!あらためて、5月っていい季節なんですね。たしか昨日が「夏も近〜づく八十八夜」で、つまり今はすでに初夏というわけ。なんか意外。ダウンコートまだクリーニングしてないよ。数日前にも着てたし。
  ナナチャン、すっかりうちの子になり。どうもクロチームとシマチームに分かれて行動することが多いみたい。シマチームはひとりだけどね。今もクロチームがわたしの両隣りの椅子の上でくつろいでいます。たぶんわたしは欲張りなのでしょう。猫が増えたことが本当に嬉しく、ナナチャン、うちの子になってくれてありがとう〜という気分。ナナチャンの治療費、ちょっとした海外旅行ができそうなくらいかかったんですが、ゴールデンウイークに旅行に行くより家でナナチャ〜ンといってる方がもっと嬉しい。だって旅行は帰ってきたら終わるけど、ナナチャンは毎日毎日可愛いもん。お値打ちです。と、ちょっと独特ではあるけど、だいぶ欲張り、、。「お値打ち」とは、名古屋に仕事に行っていた友人が憶えてきた言葉。名古屋では、「お得」ではなく「お値打ち」らしい。妙にリアル。お値打ちなんだあ〜。買い物に勢いがつきそうです。
  話は戻りますが、ナナチャン、全面的に慣れたわけではなく、ナナチャンが嫌じゃない時に撫でたりだっこすることができるようになったという程度で、やっぱり基本的なありかたはキュウチャンやギークンみたいにはいかないようです。とはいえ、同居する猫としては実に可愛く、ナナチャンを驚かせないようにそっと行動するのもけっこう好きです。歩き方とか物の扱いなど、丁寧になるので。
  この間、風邪で寝込んだいた時に、心配して枕元に様子を見に来るのはキュウチャンで、かまってもらえないので寂しがるのがギークンで、ナナチャンはそれどころじゃなく完全マイペースで行動していて、そんなふうにいろんなタイプが一緒に暮らしているという感覚、なんだかいいなと思ったりします。


 2007年05月01日(火) 

  ああっ昨日はあんなにいい天気だったのに。寒。
  今日は連休の谷間の出勤日。連休明けから始まる2才児のクラスの準備。教室を掃除していらないものを片付け、壁面に装飾をするだけ、なのですが、かなり大変。疲れました〜。
  少し遅くなって家に帰ると、外の猫も内の猫もなぜかいつもよりお腹をすかせて飛び出してくる。ん?朝はいつも通りにやっているのに?今日は忙しかったぜ〜とか、そういうの猫にもあるんでしょうか。
  そうそう、キュウチャン、昨日の歯石取りで誉められました〜。すごくおとなしく歯石を取らせたんだそうです。さすがキュウチャン(親ばか〜)。
  ギーチャンが寝る前のだっこをしていると、ナナチャンが側で物言いたげに鳴くので、もしかしてと思ったら、それはだっこの催促でした。膝の上でゴロゴロ。おお、飼猫。ギーのムートンの隣に寝かせてみるとちょっとケンカになったりして、眠い時はギーもナナもお互いが一番でわがままってことみたい。キュウチャンは相変わらずマイペースで、ごはんの後は自分のベッドに直行。落ち着いてますね。ギーもナナも死にかけて入院という辛い経験をしているのでなかなかに甘えたがりでむずかしい性格なのかも。同時に可愛がられたがる2匹を交互に撫でながら、猫の手も借りたいと思うオレであることよ。




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