2007年08月31日(金)

  ああ、8月も終っていく。ゆうべ遅く携帯が壊れ、今日は1日携帯なし。不自由かつ不安だと思ったが、なければないで、案外、身軽な気分。タバコをやめた時の開放感に似ている。
  しかし、ずっとこのままにしているわけにもいかないので、新しいのを買いに行く。料金プランも古いものなので見直さなければいけなかったんだけど、チンプンカンプン。そして、どの機種がいいのかもナゾ。完全に理解の範疇を超えている。しかたがないので、まったく適当に選んで、何だか無難なルックスの機種になった。これをまたず〜〜っと使うのかなあ。
  ところが、アドレス帳のデータが移せるかどうかやってみましょう、となって、お店の女性が電源を入れると、なんと!ちゃんと電源が入るではないですか!あれ?いったい何だったのでしょうか。お店の人は、今ならまだ間に合います!(買わなくても)と言ってくれるが、もうこの際だからそのまま購入。実に約8年間同じ携帯を使い続け、着信音も自分で作っていたし、小さい時のキュウチャンの画像とか可愛いものもいっぱい入っているけど、もういいや。それにしても、電源が入った瞬間は、びっくりして涙がでそうでした。死んだと思っていた自分の相棒が生き返ったみたいな、、、。とはいえ相棒をさっさと乗り換えたオレ。ところがメールがぜんぜん送信されず、原因もわからない状態。というわけで、せっかく携帯を新しくしたのにぜんぜん用をなさず、相変わらず世間のネットワークから切り離された糸の切れた凧のような気分。そう悪くないような、でもこのままではいかん。


 2007年08月28日(火)

  ギークン、きみはどのくらい大きくなる予定なの?最近のきみはキュウチャンよりでかいのでは。朝、みんながもりもりとごはんを食べていても、きみだけぐっすり寝ていたり、特に人より多く食べているとは思えないのに。このずっしりは、何で出来ているんだ?
  今日は曇っているのでそんなに暑くないと思ったら大間違いで、死にそうだった。蒸し暑い。風もないので、稽古場の空気が熱い。少しでも温度の上昇をおさえたいので薄暗いけど蛍光灯をつけずにレッスン。エコとかじゃなく、もう自分の身を護るためさ。あ、でもそもそもは、エコも自分の身を護るためだっけ。
  今週で夏休みの特別レッスンも終わり。少人数のグループレッスンをしてみて、いままで何かとすねたりぐずったり人と喧嘩になったりしていた子が、案外トラブルなくやっていたので、やはり自分に目をかけて欲しいというのがあるんだと、改めて思う。ただ、普段このような人数で教えるのは難しいので、人数が多くても「きみを見ているよ」みたいな感じを与える能力を身につけるといいんだろうなあ。そんなふうに自分の器が大きくなれば、今抱えているいろいろな問題も解決しそう。稽古場の環境も整えられるだろうし、劇場を借りて発表会をすることも、プロのスタッフを頼めるようにもなるだろう。何でも自分で何とかするというのもいいけど、人と協力して何かが出来る方がもっといい。とにかく、稽古場の環境だけでも近い将来なんとかする!と自分に誓う猛暑の夏。


  2007年08月27日(月)

  ものすごく細かいものの片付けなど。えっと、ものすごく細かいもの、とは、いいや後でやれば、とごちゃ混ぜに突っ込んであった道具箱の中のクリップとかピンとか安全ピンとかそういうこまかいものをきちんと分類して何がどこにあるか一目でわかるように収納しなおす、ということデス。引っ越しにはそれほど関係なさそうなそういう細かいところをきちんとしてみたら、なんだか脳のストレスが軽くなったような、、。体が元気じゃない時は細胞のレベルでダメになってて、そこが立ち直ると全体がしっかりする、みたいな感じ?
  そして、「もう少し捨てよう作戦」は相変わらず継続。先日整理した衣類から、パンツやシャツや古い衣装など数点を捨てる物袋に移動。片付けた時だいぶ迷ったんだけど、数日経ってやっと決心がついたのさ。ほんとに時間がかかる〜。
  この際、古い作品ファイルも捨ててしまおうか。これが何かの役に立つ日が来るとは思えないし、書いてあることもだいぶ幼稚だ。いったん捨てる物箱にいれかかって、まてよ、と考え直す。まだ、終わったわけじゃない。これを捨てるのは、今じゃなくてもいいだろう。もう何もかもわかったような気になっているけど、まだ自分の人生には未知の部分があるはずで、今、過去のすべてを判断して捨ててしまうことはないだろう。ものを片付けているのは、この先に元気よく踏み出すためであって、これまでやってきたことを否定しているわけではないんだし。着ない服などとはちょっと違うんだよ。ちょっぴり気分がピリッとした瞬間でした。


  2007年08月26日(日)

  やっぱりまだまだ暑い。9月も残暑が厳しいというから気が抜けないっす。でも暑さ寒さも彼岸までというから、9月の残暑もいたしかたないのかも。
  今日は、物置きの整理。98年ごろの『STONE』という作品に使った大量の石(STONEですから〜)が出てくる。こんなの、ここに引っ越す時持ってきてたんだ〜。多摩川の河原にひとりで石を拾いにいって、大量の石を手で家まで運び、色を塗ったり、胡粉を塗って磨いたものなんかもあって、その作業があまりに大変だったので、捨てるに忍びなかったんでしょうね。あまりに大変といえば、一緒に出てきたものに針金で編んだドレスがあり、それもとても捨てる気にはなれない力作。やっぱり97〜8年頃の作品で着て踊ったもの。他にもちょこちょことしたオブジェが出てきたけど、それらは処分。でも石と針金ドレスだけは持っていこうかなあ。と、ずるずるしているといつまでたっても荷物が減らないのだ〜。でもこのドレスと石だけは〜〜。堂々回りなので、後日もういちど検討。迷った時はとりあえず保留が、けっこういいのです。
  本の電子化についての番組を見た。世界中のいろんな大学と提携して蔵書をすべてネットで閲覧できる時代が来る(つうか来ている)らしい。電子化されると本は無くなるのかという問題がクローズアップされていて、いろんな立場からの意見の中で、大手書店の人が「本は活字ではない。紙の匂い、質感、デザインなど、それ自体がひとつの個体なんだ」と言っていたのが印象的。本を愛している人にとっては、そこなんだよね。データには置き換えられない。でも、近い将来、本はアナログレコードと同じ道を歩むのは目に見えているよね。アンティークなこだわり分野。
  わたしはといえば、捨てられない本の山の前で途方にくれている今日この頃なので、電子化ヤッホ−、って感じもするさ。でも、『マルテの手記』とか『ミツウ』などをモニター上で見たいとは思わないな。長年自分がページを繰ってきたこの本のページの中には物語りに追加された自分の時間と空間があるもん。つまり、本ってそういうものなんだよね。


 2007年08月25日(土)

   こまごまとした片付けなど。8年前にやっていた『うさぎだより』という、参加した人にヌイグルミなどのグッズを宅配で送り、文通するという作品の原稿などを発見。当時はワープロを使っていて、この原稿が入っているワープロのMOみたいなやつ(何ていうんだっけ)を、ついこの間、捨てたところ。もうワープロも処分したし、持っていても仕方ないと思って。原稿を見直すと、中途半端な印象。発想はおもしろかったんだけど。この原稿ももういらないかな、と思うが、ケチ心?が出て、いちおう保存。でも、これももう見直す機会はないのでは、、、。
  とりあえず、すべての部屋のすべての棚を整理し終わり、だいぶ物が減って身軽になったような気はする。でも、まだまだ何となく捨てられずに保存しているものが多い。あと30%くらい減らせるといいな。もう一回、検討してみよう。洋服なども、最初は捨てられなくても、何回か見直しているうちに「もう、いい」と思えるようになったし。
  そういえば、若い頃、スーツケースひとつ分の持ち物で生活する、というのに憧れていたのを思い出した。カバンを持って放浪するのではなくてね、定住してるんだけどコンパクトなの。でも、実際、最初はそうだったんだよね。高校を卒業して家を出た時は、引っ越し屋さんなど頼まず、父がわたしのカバンとふとんと本などを車に積んで運んでくれたのでした。いつの間にかどんどん物が増え、必要なものだけでなくあると便利かもしれない物まで抱え込むようになり、だけど、便利な物がないところで工夫して過ごす方が好きだったりするので、あると便利な物はあまり出番がなく、つまりわたしって必要最小限の物だけで充分なんだということが、はっきり自覚出来た今日この頃。


 2007年08月24日(金)

  昨日、住民票をとりに区役所の出張所に行ったら、全部機械化されているので窓口で出すことは出来ないといわれた。がーん。印鑑登録のカードがあれば機械が使えたんだけど、そんなこと知らないから印鑑登録のカードなんか持ってこないよ、がーんがーん。もっと大きい出張所?に行けば窓口でも出すことが出来ると説明されたが、時間もないし暑いので出直すことにして家に帰ったんだけど、つまり、小さな出張所ではそうやって人員削減しているんでしょうね。機械化は便利とも言えるが公共サービスの低下って気もします。見たところ、働いている人も減ったみたいだし、そのうちこういう小さな出張所は無人になったり廃止されたりするのかも。
  チビクンが最近めきめき大人っぽくなってきて、テーブルの上に自分で登れるようになったし、今日は窓辺に座って外を眺めたりしていました。窓辺デビュー〜!外にいるチビクンの兄弟たちはいつの間にか1匹になり、いったん治った風邪がぶりかえし慢性化しているようで、以前のチビクンのように目やにと鼻がひどくて可哀相だ。ごはんもたくさんは食べられないみたいで、体格もチビクンの半分以下、この1ヵ月ほとんど成長していない。人生ってなにがどうなるかわからないなあ。チビクンの方が圧倒的にマイナスのスタートだったのに。心が痛むが、もうわたしにはどうしようもない。とにかく自分の力でガンバレ、チビクンの兄弟。いなくなった2匹もどこかでがんばっていてほしいと思うが、もしかしたらもしかしている気もする。
  最近、妙に早起きなので、朝の涼しいうちに庭の草を取る。もう引っ越すのだからどうでもいいじゃん、とは思えず、最後はきれいさっぱりとして行きたい。そういえば越してきた時、草ぼうぼうの庭を見て、もしかしてこの草をこれから自分が取り続けるの?と思ったが、本当に8年間ひとりで取り続けた。毛虫の退治もしたし、のび過ぎた枝を落としたり、大変だったけど、案外楽しくもあった。これからは庭がないので、内心ほっとしている。草取りのことだけでなく、庭がなければたくさんの猫に関わる可能性もぐっと少ないもん。
  引っ越すことがわかったのか、2、3ヵ月前からどんどん猫が減っていき、今残っているのは、ナボチャンと先程のチビクン兄弟の2匹。オメンチャンも見かけるけど、ごはんを食べに来ない日も多い。わたしが居なくなっても、猫田さんのごはんでやっていけるようにと、最近はごはんを朝だけにして(夜は猫田さんがやっているので)、場所も猫田さんの餌場に少しづつ近付けている。無理なく猫田さんにバトンタッチできるように、わたしなりのけじめなんだけど、ナボチャン、ごめんね。


2007年08月23日(木)

  いいですねえ、適温って。暑くもなく寒くもなく。我愛ス適温ヲ。しかし、適温だと変に和んでしまって、今日はあまり荷造りははかどらず。もっとも、午前中しか時間がなかったので仕方ないとも言えますが。
  ああ、踊りたいなあ、好きなように自由自在に。昨年すごくお世話になった人に義理立てして引き受けた芝居の仕事ですが、細かい動きまで全部決まっていて、その動きが当て振りやわたしにとっては感情移入しにくいタイプのものなので、ちょっとキビシイ今日この頃。人様の表現を尊重する気持はあるので、やるべきことはきちんと全力で、ですが。
  久々に思い出したのが、高校生の頃、すごく舞台が嫌いになった時の気持。決められた振りと衣装とメイクで、他者のイメージのガイドラインに添って何かをするというのが突然強烈に嫌になって、子供の頃からお世話になっていたバレエの教室から離れたんでした。要するにわたしは舞台が好きってわけではないのかも。上から自分の脳に直に降りてくる感覚に従って、自分なりではあるが、ぎりぎりまで突き詰めた表現をする、そういうところにしか感じるものはないような気がする。


 2007年08月22日(水)

  物の片付けなど。どこかひとつを完璧に済ませようと思うと行き詰って途方にくれてしまいそうなので、書類とか食器とかジャンル別にちょこちょこと手をつけていく。おかげですべての棚が掘り起こされたまま放置された状態で、落ち着かないことこの上ないが、同居人が出張でしばらく留守なので、気兼ねなく自分のペースで散らかしながら片付けようという寸法です。
  食器部門の整理をしていると、ここ何年も使っていなかった漆の椀が出てきて、買った時の「お正月に使おう」というわくわくした気持が蘇ってきた。もう何年もそんな丁寧なお正月をしていない事実を突きつけられ、なんだかずいぶん雑に暮らしていたんだなあと、ためいき。テーブルクロスもランチョンマットもいつの間にかしまったままになっていたし、特別な日のこしらえだけでなく、日々の暮らしそのものがいつの間にか殺伐としていたのかもしれません。
  これから独り暮らしになって、さらに殺伐としない保証はないけど、いつかは終りが来る人生、毎日を楽しく大切に生きたいと改めて思うことであるよ。なんかね、身の回りの整理をしているせいだと思うんだけど、最近すごく考えるのが、「必ず終りが来る」ということ。そして、最後は自分独りで行かなくちゃならないということ。いつも自分よりしっかりした人を頼って、助けられながら何とかやってきているけど、最後(最期)は独りなんだよね。やばいなあ。しっかりしなくては。
  そうそう、捨てるものと捨てないものの基準がやっと出来、それは、その物があると楽しい気分になると思うかどうか、です。まだ使えるものでも別に楽しくも何ともないのなら、捨てる。ボロいものでもあると楽しくなるなら持っていく。この基準に従って食器を片付けたところ、晩ごはんを食べる段になって困惑。電子レンジでチンするのにちょうどいい器がない。そういえば普段レンジ用に使っている器は、別に気に入っているわけでなく、「楽しくない」ということで捨てるもの箱にいれたんでした。そうか、楽しくなくても必要なものもあるのね。苦笑しながら器を拾いだし、チンしました。


 20007年08月21日(火)

 暑さのせいで70才以上の人はかなりこたえているぞ。身直にお年寄りがいる人、注意!今日、母に会ってそう思いました。だって言ってることがちょっと変、つうか、たぶんこの暑さで体力が限界なのでしょう。
  もちろん、70才以下だって限界です。今日のチビッコダンスは倒れそうでした。熱中症にならない方がおかしい。チビッコ達にも頻繁に水のみ休憩を与え、自分も水分補給。ところで、この猛暑の中、ダレないでレッスンを受ける子はなかなか見所がある。もしかしたらすごくかんばっちゃってるのかも知れないけど、いえいえ、おそらくそういう子は踊りが本当に好きなのでしょう。何となく雰囲気に憧れて、とか、友だちがやっているから、とかそんなことではこの猛暑下のレッスンには耐えられるはずがない〜!と猛暑に劣らず暑く考えるオレですが、今日、まあイイかなと思ってわずか10分弱の路駐してしまい、しっかり駐禁を取られ、かなりブルーです。初めての違反、、、。なんとも嫌な気分になるものですね。違法駐車ってどのくらい反則金を取られるのかなあ。引っ越しを控えた今日この頃、精神的にもお財布的にもダメージ大。ああっあの時ちゃんとコインパークにいれておけば。でも急いでたし、数分だし、つい、だったんだよね。そして、たぶん、ほとんどの違法駐車の人は、こういう心境なのでしょうね。
  ところで、話は戻りますが、ダンスをやるなら暑さに強い方がいい。だって舞台って暑いもん。あと、稽古場も体を冷やさないということで暑い場合が多いですし。まあ、うちほどじゃないにしても、ね。とにかく、いろんな条件に負けない強さがないと、そして、ダンスへの生来の強い思いがないと、やってられない世界ですが、今教えているチビッコの中に何人か育ててみたい子が出てきて、幼稚園卒園と共にやめていく子が多いこともあって、こちらの教える技術と伝える内容の豊かさを試されているような気がする。


 2007年08月20日(月)

 またまた暑い。と、言ってる間にすでに8月も後半。芝居の稽古はけっこう進み、当初こんなの覚えられないと思っていた台本も何となく覚えてきた。ん?ちょっとレベル低いです?
  チビコの振付けと衣装はいまだ停滞気味。今年も小学生が主になる『アメリ』シリ−ズにフローティングの人に参加してもらう予定ですが、フローティングとチビコが合同で稽古できるのは本番1週間前のリハになっちゃうので、なるべく効率良くやっていかないと。そして、引っ越しの準備も進めないと。
  てなわけで、暑いなんて言ってる場合じゃないのよオレ。チビクンが風邪をひき、クーラーのせいか、もともとの風邪がぶり返したのかはわからないけど、以前と同じ薬を飲ませている。スポイトで取った液状の薬を口の中にエイッと流し込むんだけど、あの頃に比べるとぜんぜんおとなしく薬なんか飲まなくなっていて、成長を実感。当時はあまりにも具合が悪かったからおとなしく言うことを聞いていたのね。
  古い思い出の品なども出来るだけ処分しようと、押し入れの奥の箱を開けると、まったく忘れていた思い出の品がどんどん出てきて、ううう。約10年前くらいのものでもまったく記憶になかったりして、自分はこの10年でたいして変わっていないと思っていたけど、これを懐かしく思うってことは、気付かないだけで随分変わったのかもしれない。それがいい意味でならいいね。今の所、自分ではわかりません。
  物を整理していると、いろんなことをリセットしたい気持がどんどん強くなってくるのが面白い。捨てる基準も潔くなってくるし。いったん整理し終わった衣類ももう一度見てみよう。なんだかまだ随分ため込んでいるような気がしてきました。


 2007年08月19日(日)

  ふと引っ越し先を決めてしまいました。昨日の涼しさのおかげで、いつもは暑くて5分以上滞在する気にもなれない2階のネットに繋いでいる部屋(クーラー故障)が使えたので、この期を逃すものかと、猫可の部屋をいくつかピックアップ。不動産屋さんに連絡し、今朝見に行き、いったん家に帰り、きりりと冷やした素麺をずるずると食べながら、最初に見た部屋にしようと決断。普段呆れるほど優柔不断なのに妙に早い時もあるオレ。オーナーさんが留守だったり、もう終わったのがあったりで、結局2軒しか見なかったんだけど、いろいろ見てまわったり、もっといいのがあるかもと迷ったりするのが面倒になっちゃったんだよね。駅からバスで20分もかかるのはかなり不便ですが、あんまり出かけないし、まあいいや。
  そして、不動産屋さんに言われて初めて気がついたのですが、引っ越しの予定は10月頭なので、今、契約すると当然9月の家賃が発生し、2軒分の家賃をだぶって払うということになる。太っ腹〜。じゃないよ〜、がーんがーん。ふつう、もう少し引っ越しの期日に近くなってから物件を探すものなんでしょうかねえ。しかし、猫可で、ある程度希望に添った物件がそうそうあるとも思えなかったので、仕方ないニャア。という苦しい気持がもろに顔に出たのか、不動産屋さんが大家さんに多少家賃がなんとかならないか交渉してくれました。で、多少なんとかしていただき、ちょっぴり節約。
  そして!つまり、その気になれば9月1日から新しい部屋に住めるわけで、今の家はルームメイトとの兼ね合いで結局10月頭まで借りることになるので、1ヵ月間だけ別宅がある人ということに相成りました。やっほ〜。←意味不明
  今回初めて知ったのですが、広告に「ペット可」とあっても、どんなペットでもOKというわけでなく、小型犬限定の場合も多く、猫は爪を研ぐので嫌われるのかな、猫はダメという場合もあるのでした。さらに、ある広告に華々しく「2匹目OK!!」とあったことから察するに、常識的には賃貸マンションで飼えるペットは1匹までらしい。なので、、今後は、わたしのペットは猫1匹です。表向きは、ね。人生いろいろ人には言えないことも出てくるのだ二ャア。


 2007年08月18日(土)

  夕方から多摩川方面へ向かう人の流れが目だち、そういえば今日は多摩川の花火だっけなんて思いながらそのうちに忘れ、夕飯を食べている時にド〜ンと鳴り響いた快音で改めて思い出す。この家に越してきた最初の年に、もしかして見えるかもと、ベランダに出てみたことがあるけど、近所のケヤキの大木に阻まれてほとんど見えなかったので、以後、音を聞いても外に出もしなかったものぐさ者ですが、今年は、いつもより音が大きいような気がして思わずベランダに走り出る。すると、打ち上げのポイントが変わったのか、思いのほかいい感じで見えるではないですか〜。今日は休みで家に居たルームメイトとしばらくベランダで眺めるが、それでもやっぱりケヤキがじゃまになるので、もしかして外に出た方が見えるかも、と、今度は道に走り出る。次々と打ち上げられる花火を見上げながら障害物のない場所を目指して夜道をふらふらと走り、多摩川の方向に流れる川にたどり着く。
  おお。絶景。家からわずか5分足らずの所にこんな素晴らしい花火スポットがあったとは。以前見た時よりも花火大会の規模が大きくなっているのか、随分派手で立派な花火でした。人ごみにもまれることもなく、ふらりと家を出てこんなきれいな花火が楽しめるなんて。橋の手すりに寄りかかって夢中で眺める。花火を見る時って、自然に、きれい〜すごい〜うわあ〜と歓声をあげて拍手しちゃうのがおもしろい。目の前に大きく拡がる光の玉は、なんだか涙が出るほどきれいで、8年間暮らした土地を引っ越す最後にこの花火が見れてよかった。そして、ず〜っと一緒に暮らしてきたルームメイトとこの花火を見ることが出来たのもほんとうによかった。


 2007年08月17日(金)

  天気予報をやけに真剣に見てしまいます。見たからってどうなるものでもないんだけど、いつになったらこの暑さが治まるのかと。で、明日は29度の予報と知り、夢のよう〜。体温より7度も低いなんて〜。ばんざ〜い!そういえばふと気付けば、うちの給湯の温度は35度に設定してあり、つまり最近の気温より低いってことじゃん。ともあれ、その涼しさを逃さず、片付けや部屋探しなど有効に活動しなければ。
  暑さといえば、温暖化の影響で35年後には北極の氷が溶けきってしまうという計算だとか。といってもそれは今始まったことではなく、わたしが知っているだけでもすでに25年前くらいからオゾンホールや北極の氷の問題って叫ばれていたんだよね。数字だってかなりはっきり出ていて、何とかしないと時間の問題でやばいことになるというのは素人目にも明らかだったけど、当時はバブルの絶頂期だったこともあって、自然保護なんかよりとりあえず今お金を儲けねばみたいな感じだったんでしょうね。期末試験の期日ははっきりしているのに前日にならないと勉強しない、みたいな、、。でも、一夜漬けでもなんでも、しないよりはましで、今からでも何とかしなくちゃいけないんだけど、これって物の豊かさを求める価値基準自体が変わらないと何ともならないって気がしません?
  欲しいものがあって、次々に欲しくなり、お金はそのために使うんだけど、できれば物は安く買いたいと思い、食べ物でも何でも異様な安値で売られるものが出現し、すると賞味期限やら安全基準やらが何だか怪しげな商品も出現したりして、たとえば販売した企業が自主回収するにしてもその商品を生産し運び回収するまでにものすごくたくさんのエネルギーを使っているわけで、廃棄すればゴミを処理するエネルギーが必要で、環境的には大きな負荷がかかることになる。
  話はずれてきていますけど、物を買い続け、捨て続けるのが人の一生というところをなんとかしないとダメなんじゃなかと思うのは、わたしが経済の仕組みをわかっていないバカものだからでしょうか。単純に、物じゃない部分にもっと価値が置かれないと何も変わらないっていう気がするんですけど。ちなみにわたしは幼児教育の場で働いていますが、やっぱり経済の仕組みに組み込まれていない分野ってきついなと思うことも多いです。重労働のわりに収入は少なく(公立と私立ではぜんぜんちがうみたいですが)、情熱があっても金銭的な面で息切れしそうな所があり、本当なら子供の教育って社会の根本を成すものなんだからもう少し社会的な評価が高くてもいいはずなのにね。えっと、愚痴ではニャく、要するに物の売買に関係しない活動にもう少し価値を見出せる社会にならないと、つうか、なればいいなあ、と。
  またまた話はずれますが、無駄な電気は使わない、という観点から考えると、あまりに客の入っていないわたしのダンス公演とか、まずいよね。エネルギー効率悪すぎ。今日はガラガラなのでピンスポ1本で、とか、そんなエコも困るけどさ。そういえば、さらに話はずれますが、今度仕事をすることになった舞台監督の男性が40代後半だったので「お子さんは?」と何げに聞いたところ、こんな低収入では子供なんて無理です!と思いのほかまともに返され、返事に困ってしまったことであるよ。やはり50くらいの別の舞台監督さんに「あなたの欲しいものは?」という質問をしたら「甲斐性」という胸を打たれる返事が返ってきたこともあり、舞台に関わるのも大変なのです。


 2007年08月16日(木)

  どうしたんだ地球。かなり暑さに強く我慢強い方だと自負していますが、さすがに今日は耐え難く、猫達もぐったりしているので午前の早い時間からクーラーをかける。こんなこと初めて。今まではどんなに暑くても午後2時あたりまではクーラーなしで何とかなっていたんだけど。キュウチャンがいちばんまいっていたらしく、クーラーの風が直に当たるところに溶けた大福みたいな顔でじっと横になる。キミは毛がいっぱいはえているからねえ。人一倍暑いよねえ。ナナチャンはノラ歴が長いので、クーラーは苦手みたいだけど、捕まえて連れてくると、出ていかずにぐっすり寝ているので、やはりこれで良かったのでしょう。世田谷のこのあたりは、最高気温38度の予報。昨日作ったカレーが、お昼には傷んでました。暑さ恐るべし。ゆうべは芝居の打ち合わせで、なんだか知らない間に飲み過ぎていて、軽く二日酔い。ダブルパンチです。どうせダラダラしちゃうんだからこの際ゆっくり寝ちゃおうかな、と横になるが、作りかけのチビッコの発表会の振付けが気になってぜんぜんゆっくりした気分になれない。そろそろ衣装なども作り始めなくちゃならない時期だし、がんばって〜オレ。


 2007年08月14日(火) 

  お盆なのでチビッコダンスを休みにしたのは大正解だった。だってこのギラギラの暑さでは体がまいってしまうもの。すこし外に出ただけでジリジリと焼けつくようで、なんだか生きているだけで精一杯ですミーンミーン。なぜセミ?
  相変わらずのろのろと荷物の片付け中で、物が捨てられない自分の性格にほんとうにうんざり。こうして大学を卒業してからの20数年分の物の山に直面していると、若くてお金がなくてそれでも元気いっぱいだった日々が昨日のことのように思い出されて、「懐かしい」という言葉ではカバーしきれない何かを感じる。でも、「懐かしい」とはつまりこういう気持なのかもね。陰陽入り混じり、ひとことでは表現できない。
  今回の引っ越しで20数年ぶりにひとりで暮らすことになるんだけど、自分の人生の大きな区切りって感じがする。大学を卒業するまでが1クール。卒業してから今までが2クール目。あと20年くらいは今とあまり変わらない状況で元気でいられるような気がするので、これからが3クール目。1クール目も2クール目も、客観的な根拠もないのに「悪いようになるはずがない」という妙に肯定的で自信満々の感じでやってきたけど、ここ数年いろいろ辛いことなんかも経験し、3クール目は「これからどうなるかわからない」という不安と切なさに満ちたスタートだ。でも考えてみれば、体中に拡がるこの不安も確かな根拠に基づいているわけではなく、そういう意味では今までにひけをとるものではないさ。と、折々励まさないと気持がもたない。だって本当に暑いし、やっぱり何かと途方に暮れやすいんだよね。


 2007年08月12日(日) 

  なぜだか朝6時半に目がさめてしまう。仕方がないので起きて、猫にごはんをやり、しばらくぼんやりし、テレビをつけたらアウトドアなんかに便利な紐の結び方をやっていたのでじっと見る。引っ越しの準備で本とか縛りたいし、すごくタイムリーだと思ってかなり集中するが、結局ものすごく基本的な結び方が憶えられただけだった。上から通すとかひねる方向とか、難しい。頭の中がこんがらがって来たので、後半の複雑な結び方はすっかり諦め、先生役の男性にぼんやり魅了される。だって、ロープ1本でハンモックを吊るしたり、タ−プをピンとはったり出来るんだよ。ロープは決して緩まないけど、ほどこうとすれば魔法のようにするりとほどける。うっとり。こんな人が身近に居たらどんなに便利なことでしょう。おっと、また人を利用しようとしていますな。
  昨日まとめた荷物を実家に運ぶ。当面使わないけど捨てるわけにいかない物を置かせてもらうのです。引っ越し先は今住んでいる家より狭くなるはずなので、実家に保存の物だけをちょこちょこ運んでしまおうというわけです。母も日頃、物が片付かなくて困るとこぼしているのに、わたしの荷物を文句も言わずに受け入れてくれ、親とはやはりありがたいものだなあ。
  午後家に帰り、片付けの続き。さっそく憶えた結び方を使って本をまとめようとして、途方に暮れる。どの本を捨て、どの本を持っていくか、自分の中で基準が作れない。もう読まないものばかりとも言えるけれど、捨てる勇気も出ない。とりあえず棚の前列にあるやつをまとめてみることにする。基本の縛り方だけしかわからないので適当に自己流にアレンジしてしまったけど、それでも今まで結んだすべての紐の中で一番しっかりと結べたような気がする。普通の紐がなかったので細いタコ糸を使ったにもかかわらず、重たい本が快適に持ち運べる。すごい。紐ブラボー。しかし喜びもつかの間、3つほどの本の束を作るうちに、再び、「これらの本を持って行っても、もう読まないかもしれないのに」という思いがふつふつと湧いてきてすっかり疲れてしまう。なんだかなあ。物ってどうやって片付けたらいいんでしょう。


 2007年08月11日(土) 

  うう今日も煮えてましたね。そして道が異様に混んでいたのはお盆休みってことでしょうか。
  仕事が一段落したので家の中の整理など。この春くらいから少しづつ片付けていたつもりが、仕事にかまけてほとんど手付かずのままで、9月に入るとまた忙しいので、何とか今月中に目指せすっきりコンパクト。というわけで衣類など、どんどん思いきって捨てていく。これはいつか着るかも、とか、この布をヌイグルミに使うと可愛いかも、とか、そういうふうにとっておいた物が多く、でもいつまでたっても着ないし、結局はヌイグルミも作らないんだよなあ。
  ふと見るとキュウチャンが目を虚ろに開けたままじっと横になっていて、もしやこれは熱中症?唯一クーラーが作動する部屋に連れていくと、今度は目をちゃんと閉じて寝始めたのでよかった。他の猫達も救護室に連れて来て冷やす。ほんとにいつから夏がこんなに過酷になったのだろう。
  衣類、本、CD、ダンスの記録、食器、台所用品、ごちゃごちゃといろんなものがいっぱいあって、しかもほとんどはがらくたで、もしかしてそれは、自分のこれまでの人生イコールがらくた、ということなのでしょうか、、。がらくたではあっても、なかなか思いきって捨てることのできない、多少はいいところも無きにしもあらずながらくたではあるんだけど。


 2007年08月09日(木) 

  暑い。煮えてます。34度とか、ウソでしょ。触ると体温より高いもん(空気が)。もう夜中だが、蝉がジリジリと鳴き続け、こんなだったでしょうか、夏。一度溶けてしまったク−リッシュはもう一度固まらせてもぜんぜんダメです。ジャリジャリで吸いだせにゃい。
  明日の『絵を描こう!』イベントが終わると、忙しさも一段落。後はチビッコの発表会と引っ越しをし、芝居のお手伝い出演で今年も終りだ。早いなあ、つうか、それでいいのか自分というところもあるけど、なんせまだ膝がつけないんで、しょうがない。芝居の仕事はどうも作品の意図が掴めず、今日の稽古で思わず正直にそのことを言うと、作・演出・主演の女性は真剣に説明してくれるが、やはりぴんと来にくく、もっとわたしを説得して〜〜って感じ。納得できないものって演じいくいもん。お客さんだって予備知識が豊富なインテリとは限らないし、説明して納得するような性質のものはなかなか舞台の作品として成立しにくいのではないのかなあ。こう見えてこちらも真面目な性格なので引き受けたからには最善を尽くすつもりですがっ。
  今日は芝居の稽古の後、『アメリの誕生日』の構成を作りおおまかな配役をし、夜のフローティングの稽古の頃にはすでにべろべろに疲れていて、毎度スミマセン。でも、ベロベロに疲れている時にふと降りてくるような感覚があり、それに従って稽古を構成したが、みんなにどのくらい伝わったのかわからない。少なくとも自分には伝わったんだけど。


 2007年08月07日(火) 

  このところあまりにも忙しく、今日も残業だったし、そう、イベント2日目を最後に日記を書く時間も体力もなくなっていたデス。
  10日に行うサマーイベント第2弾『マヤマックスと絵を描こう!』の準備を先ほど終えて(つうか終わらなかったんだけど、後は当日朝でということで)帰宅し、独りお疲れビールを飲んでいるところです。
  今度のイベントは、内容はマヤマックスさんにお任せするのでこちらで準備する物がそれほどあるわけではないんだけど、ネームプレートを作るとか、そういうちょっとした作業でも、人手がないのでやはり時間がかかる。でも、巨大な画面に自由に絵を描くというこの企画を、子供達がどんなに喜ぶだろうと思うと、残業ぐらいガンバレ自分です。明日と明後日は他の仕事があり、イベントの準備は今日が最後、後は本番。参加する子供もまやさんも職員もみんな楽しく過ごせますように。
  先日終わった第1弾のイベントの方は、大成功でした。今回は3日間のイベントということで、保育の内容も3日間連続したのものにしたんだけど、その内容がなかなかいい感じで、わたしの理想とするところの「音楽と美術と身体表現がひとつの物語として繋がった保育」ができました。ほとんどの子供が45分の保育を飽きることなく活動に集中して過ごし、日を追う毎に表情が活き活きしてきて、最終日なんかこのままこの子達と別れたくないと思ってしまうほど。
  子供の心を捕らえるのは音楽と色彩と体の動き。この3要素の融合が程よく適当だと、ほんとうにファンタジー溢れる素敵な時間が作れるんだなあ。実はこれってダンスの舞台を創る時と酷似している。つまり、保育もダンスの舞台も基本的に人を楽しませ何かを感じさせるという点で合致するところがあるってことですね。
  とりあえず地獄のような忙しさは一段落。次はチビッコの発表会。チュチュ地獄、その前にすでに振付け地獄なんですけど。そして、自分の引っ越しもしなくては。もうそろそろ引っ越し先を探し始めるべきだっりするのでは。おお。にゃんといそがしい。猫4匹と共に住める所。見つかるかなあ。持ち物の整理もしなくては。これまた苦手分野。またまたガンバレ自分。


 2007年08月03日(金)

  サマーイベント2日目。疲れがでてしまい、寝てないので声も低く、しかし、保育の内容はなかなかいい感じでした。ウサギをモチーフにした動きで遊び、その流れの中で折り紙のウサギを作り、今度はそれを手に持って身体表現をしてみたり、折り紙のママウサギと赤ちゃんウサギがチュチュッ、なんてやってるうちにいろんな動物のママと赤ちゃんがチュッチュッするというモチーフの絵本『ちゅっちゅ』の読み聞かせに入っていき、子供達は釘付け。きのうに続いて適当にピアノで音をいれながらの読み聞かせにしーんとなってポカンとしている。嬉しいことです。子供だけでなくこちらも本当に楽しく、この感じはダンスの舞台が上手くいった時にそっくり。いろんな流れがすごく自然なんだけど、展開が面白く、意外性もあり、物語が途切れることなく、しかしいろんな体験が出来、なんだかやたらと心が明るくなる。だって、今日の保育のテーマは「ママ大好き」の表現ですからね。明るくなくっちゃ。
  イベントの運営面では問題点はいくつもあり、とても楽しいことばかりではないけど、少なくともイベントの第一の目的である保育がこれほどうまくいったのは本当に嬉しい。と過剰に喜ぶほど、2才児の保育ってむずかしいのです。自発的な反応が薄い年齢だし、社会性も育っていないし、子供というよりはまだ赤ちゃんに近い子もいる。、、、、となんたらかんたらいってますが、実はもう疲れて倒れそう。イベントが終わった後も、明日の教材の準備や、来週に予定しているもうひとつのイベントの準備などで休む暇がなく、もちろん残業。今日は12:30でお終いのはずだったので、ええと、8時間も残業!!しかし明日がまだある。明日は最終日。帰って来て飲むビールがおいしくなるようにがんばれ自分。


 2007年08月02日(木)

  サマーイベントの1日目。お母さんに連れられた2才のチビッコが続々とやって来て、室内で小1時間保育をした後、庭に出てみんなでダンスを踊り、さらにプール遊びなど。ダンスはできたてホヤホヤの『アイアイ』。おさ〜るさ〜んだよ〜、です。ゆうべは「おさ〜るさんだよ〜」が頭の中で鳴り響き、前奏、間奏、後奏のカウントがもうひとつあやふやで間違えそうだなと思うとますます眼がさえ、結局4時過ぎに起床。振付けを自分の物にするまでに時間のかかるタイプです。本番ではなんとか間違えずに出来たものの、後奏が始まるところで子供がいたずらしてプレイヤーを止めてしまい、音がいきなり切れ、何とも肩すかしな終り方。明日、明後日も引き続き踊るのでまあいいんだけどね。振りは自分にしてはかなり丁寧に考えたので、けっこういいです。簡単で動きの流れがよくさらに踊っていて楽しい。チビッコに大うけ。2才くらいの子が小さな手をパッと開いて「ア〜イアイッ」と歌いながら踊る様子はなかなかに可愛らしいものです。
  そんなこんなで普段ほとんど浴びることのない日光を大量に浴び、驚くほど疲労。どのくらい疲れたかというとビールを飲む気力もないほど。すごいでしょ。明日はイベント2日目。段取りや雰囲気がわかっているので今日よりは楽かな。そして「おさるさん」もおぼえたので、今日は安心して心静かに眠れそう。おやすみなさい〜。


 2007年08月01日(水)

 今日は、家で腕輪を作ったり振付けを作ったり。腕輪は6ウサギを一気に作り、我ながらすごい集中力だ。そのせいかどうかわからないけど、夜になってから変なふうに頭痛がして、頭痛といっても右の眼球の上の方が不規則にズキズキするので嫌な感じだ。そういえばもう何日も前になるけど、右の目尻が赤くなって打撲でもしたような痛みがあり、そんなところをぶつけた記憶がなかったので気になったことなども思い出されて、いきなり『本当は恐い家庭の医学』でしたっけ、頭の中で再現ドラマが展開。
ふと足元を見るといつものように4匹が集まってのんきにのびのびと寝ているが、もしわたしに何かあったら困るのはキミたちだねえ。先日、生まれて初めて保険の勧誘を受け検討中だが、家族がいないので死亡保証は必要ないのではと思ったけど、猫の世話を託すという意味ではそういうのもあったほうがいいのかもね。ただ、多少のお金を添えたくらいで引き取ってくれる人がいるかどうかは難しいところなので、猫よりは長生きするに越したことはない。ちなみに勧誘された保険のタイトルは『長生きくん』でした。
テレビで、かつて諦めてしまった夢をもう一度追い掛けたい、本気になって何かをしたいという思いを強く持つ女性達のインタビューを見て、ふうん、と思う。わかる部分はある。
わたしの場合、夢は追い続けているんだけどぜんぜん実現しなくてさ、あまりにも結果が出ないのでしまいには、続けていること自体が結果だと考えるようになったりもしていて、つまり、仕事を通して何に気付きどう成長できるか、それだけでいいと思えるようになったということなんだけど、そうなるまでは辛かったですね。最近になってやっと、たとえ客席がガラガラでも、教室に生徒がいなくても、弱音を吐かずにこの仕事を続けていく覚悟が固まった(ような気がする)くらいなので、エラソウなことは言えませんが、「夢を追い掛ける」というと充実感に満ちた素敵な人生みたいだけど、それは決してユメのようなものではなく、孤独で地味な毎日の積み重ねです。少なくともわたしにとってはね。もちろんそうじゃない人もいっぱいいるからユメがあるんでしょうけど。
テレビに登場した女性達の何かを渇望する思いや、ありのままの自分で本気になって生きたいと望む気持はよくわかるけど、同時に、もしかして今彼女たちが置かれている生活そのものをもっとしっかり追い求めるべきなのでは、とも思ってしまったり、、。


 2007年08月01日(水)

 今日は、家で腕輪を作ったり振付けを作ったり。腕輪は6ウサギを一気に作り、我ながらすごい集中力だ。そのせいかどうかわからないけど、夜になってから変なふうに頭痛がして、頭痛といっても右の眼球の上の方が不規則にズキズキするので嫌な感じだ。そういえばもう何日も前になるけど、右の目尻が赤くなって打撲でもしたような痛みがあり、そんなところをぶつけた記憶がなかったので気になったことなども思い出されて、いきなり『本当は恐い家庭の医学』でしたっけ、頭の中で再現ドラマが展開。
  ふと足元を見るといつものように4匹が集まってのんきにのびのびと寝ているが、もしわたしに何かあったら困るのはキミたちだねえ。先日、生まれて初めて保険の勧誘を受け検討中だが、家族がいないので死亡保証は必要ないのではと思ったけど、猫の世話を託すという意味ではそういうのもあったほうがいいのかもね。ただ、多少のお金を添えたくらいで引き取ってくれる人がいるかどうかは難しいところなので、猫よりは長生きするに越したことはない。ちなみに勧誘された保険のタイトルは『長生きくん』でした。
  テレビで、かつて諦めてしまった夢をもう一度追い掛けたい、本気になって何かをしたいという思いを強く持つ女性達のインタビューを見て、ふうん、と思う。わかる部分はある。
  わたしの場合、夢は追い続けているんだけどぜんぜん実現しなくてさ、あまりにも結果が出ないのでしまいには、続けていること自体が結果だと考えるようになったりもしていて、つまり、仕事を通して何に気付きどう成長できるか、それだけでいいと思えるようになったということなんだけど、そうなるまでは辛かったですね。最近になってやっと、たとえ客席がガラガラでも、教室に生徒がいなくても、弱音を吐かずにこの仕事を続けていく覚悟が固まった(ような気がする)くらいなので、エラソウなことは言えませんが、「夢を追い掛ける」というと充実感に満ちた素敵な人生みたいだけど、それは決してユメのようなものではなく、孤独で地味な毎日の積み重ねです。少なくともわたしにとってはね。もちろんそうじゃない人もいっぱいいるからユメがあるんでしょうけど。
  テレビに登場した女性達の何かを渇望する思いや、ありのままの自分で本気になって生きたいと望む気持はよくわかるけど、同時に、もしかして今彼女たちが置かれている生活そのものをもっとしっかり追い求めるべきなのでは、とも思ってしまったり、、。



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